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トヨタ:コロナ中古車情報!カタログ・在庫


中古車情報

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 ⇒  コロナ中古車総合情報

 トヨタ:コロナの概要♪


初代 T10型(1957年-1960年)
1950年代半ば以降、日本の乗用車市場ではトヨタがクラウンで中型タクシー市場を、日産がダットサン・110/210で小型タクシー市場をそれぞれ押さえるという構図が出来上がっていたが、日本の二大メーカーである両社は、それぞれ相手の領域に食い込もうと新型車開発を続けていた。コロナはこうした状況で誕生したトヨタの対ダットサン対抗馬である。しかし、本格的な商品として企画されていたのは二代目のT20系であり、初代の10系はそれまでのつなぎとして企画された。この背景には当時の乗用車の設計に強い発言力を有していたタクシー業界が20系の完成を待てず、開発・発売を急がせたという事情があった。

すなわち、クラウンの信頼性が高いことが立証されて存在価値が薄まり、1956年に生産中止されていたクラウンのタクシー用姉妹車であるトヨペット・マスター(前輪固定懸架)の車体中心部のボディプレス、クラウンの足回り、1940年代末から使用され既に時代遅れになっていたサイドバルブ式のトヨタ・S型(最高出力33PS/4500回転、最大トルク6.5kgm/2800回転(グロス値))など、既存のコンポーネンツを寄せ集めて急遽開発された車であった。ただし、唯一画期的であったのは、トヨタが1950年代前半から研究を続けてきたモノコック構造がトヨタ乗用車として初採用されたことであった。このため車両重量はようやく1000kgの大台を割っている。

こうして開発されたT10系は1957年7月に登場した。ボディは4ドアセダンと、トヨペット・コロナラインとして別モデル扱いされた2ドアバンがあった。その丸みを帯びたスタイルから、「ダルマコロナ」の愛称で親しまれたが、前輪独立懸架で乗り心地が良い点を除くと、ライセンス生産していたオースチンのノウハウでOHV1000ccエンジンを既に開発・搭載していたダットサン1000(210系)と比較すると、開発費がかけられなかったこともあって、ハード面の評価は低かった。

1958年4月にはマイナーチェンジを受け、車体の側面にモールを追加。フロントフード先端のエンブレム、ドアハンドルの意匠を変更した。

1959年10月には再びマイナーチェンジを受け、懸案であったエンジンをより強力な水冷直列4気筒997ccP型に変更し、最高出力45PS/5000回転、最大トルク7.0kgm/3200回転(グロス値)とした。最高速度も105km/hと、ようやく100km/hが可能となった。フロントグリルもメッシュタイプに変更され、後席寸法を拡大し、乗車定員は4名から5名に増加した。


2代目 T20型(1960年-1964年)
1960年4月登場した二代目は、トヨタが総力を挙げてダットサン(1959年にダットサン・ブルーバード(310系)に発展、好評であった)打倒を目指して開発された本格的な小型乗用車であった。当時のオペル・レコルトを彷彿とさせるデザインは当時の国産車の水準を越えた流麗もので、当時増加傾向にあった女性ドライバーには特に好評であった。車体は先代同様4ドアセダンのみで、ライトバンおよびシングル/ダブルピックアップは引き続きコロナラインとして別シリーズであった。

販売キャンペーンも新しい方式が取られ、発表に先立ち1960年2月頃から新聞紙上に車体デザインの輪郭や一部分を露出して人気を煽る「ティザーキャンペーン」が日本で初めて実施された。

設計上最大の特徴は1枚リーフとコイルの組み合わせによるカンチレバー式のリアサスペンションであった。優れた操縦性と乗り心地を実現したが、当時未舗装が多かった地方の道路でタクシーとして酷使されると、耐久性不足が露呈された。また、ピラーが細くスマートがボディも強度不足が指摘された。こうして主にタクシー業界で不評が広がり、当初好調に立ち上がった販売も1960年末頃には伸び悩むようになり、小型車市場でのダットサン・ブルーバードの優位は、T10系の時代と変わらず続いた。

トヨタ自動車販売の総帥・石田退三は「たとえ千年かかっても」と檄を飛ばし、状況を回復すべく必死の対策が取られることになる。1961年3月には小型タクシー枠が拡大されたことを受けて、クラウンと同じ新企画一杯のR型1453cc60馬力を搭載した「コロナ・1500」(RT20)を投入、同様に1200cc版を投入したブルーバードに対しパワー競争で差をつけた。更に10月には「コロナ・1500デラックス」(RT20D)を追加し、自家用車向け販売を強化した。また、特に女性ドライバーに人気があることからイージードライブ装置付きモデルに早くから力を入れ、2速オートマチックトランスミッションの「トヨグライド」(トルクコンバーター付きだがLとDの変速は手動であった)、自動クラッチの「サキソマット」(通常の3速MTのクラッチ操作のみ自動化、トヨグライドより性能ロスが少ない)が追加された。

また、1500登場と同時に問題のリヤサスペンションをコンベンショナルなリジッド半楕円リーフスプリングに変更した。テレビでは「トーチャー・キャンペーン」と称してコロナを悪路で酷使するシーンを流す、日本初のカラー映像によるテレビコマーシャルが盛んに流され、丈夫な車であることを必死にアピールした。

1963年5月に開催された第1回日本グランプリ、ツーリングカー1300 - 1600クラス「C-5」に出場し、1位から3位までを独占した。宿敵ブルーバード・1200は別クラスになったことも幸いしていたが、コロナが丈夫で高性能であることをアピールする好機として、トヨタは盛んにこの戦果を宣伝した。 T20系はまた、対米輸出の戦略車種としても位置づけられ、「トヨタ・ティアラ」(クラウンの『王冠』と意味を重ねたネーミング)として1900ccエンジンを搭載して輸出されたが、1960年にビッグスリーが相次いでコンパクトカーを発売して輸入車に反撃を開始したこともあって、トヨタの期待に反して販売は伸び悩み、アメリカ市場から一時撤退することとなる。


3代目 T40/50型(1964年-1970年)
1964年9月登場にした三代目は、「アローライ」と呼ばれた傾斜したフロントノーズのデザインが特徴であった。一年前に登場していた二代目ブルーバード(410系)が、イタリアの自動車デザイナー・バッティスタ・ファリーナによるテール部分が下がったデザインが不評で苦戦していたのに対し、ノーズ以外はオーソドックスな、完成されたデザインを持っていたこと、発表早々に開通して間もない名神高速道路で10万キロ連続高速走行公開テストを実施し、高速性能と耐久性をアピールして先代との違いを際立たせたことから人気が急上昇、ダットサン・ブルーバードとの熾烈な販売競争、いわゆる「BC戦争」において、1965年1月に初めて宿敵ブルーバードを販売台数で追い抜き、悲願であった国内販売台数第1位を達成した。その後しばらく抜きつ抜かれつの状況が続いたが、1965年末頃からは第一位の座を磐石なものにした。コロナの首位は、1968年にカローラに譲り渡されるまで続き、セドリック・サニー級の販売合戦でもトヨタに優位に立たれた日産との格差は圧倒的なものとなって行く。当初のボディバリエーションは、4ドアセダンと、この代からコロナの名に統一された2/4ドアバンとシングル/ダブルピックアップであった。

機構的はごくオーソドックスなものであったが、特徴としてはステアリングギヤがウォーム&セクター・ローラーから、リサーキュレーティング・ボール(ボールナット)へ変更、主にタクシー向けのスタンダードのエンジンが1200cc2P型から1350cc3P型に変更、そしてトヨグライドが完全自動式となったことが挙げられる。旧型コロナに比べて約60kg軽くなり、エンジンの改良と合わせて、国際的水準を行く高性能、最高速度(140km/h)、加速性能(SS1/4マイル19.7秒)を達成。 、 1965年4月には、SSやSSSなどスポーティモデルを充実させるブルーバードに対抗して「1600S」を追加、エンジンは4R型(OHV1587cc・SUツインキャブレター・90馬力)で、コロナ初の前輪ディスクブレーキ、4速フロアシフトを採用し、内装にはタコメーター、フルリクライニングのバケットシートを採用した。同年7月には、日本車初のピラーレス構造の2ドアハードトップ(T50系)を追加、11月にはこれも日本車コロナ初の5ドアハッチバックセダンを追加、ルノー・16など、欧州で人気が出始めていた5ドアをいち早く取り入れた。ハードトップはその後のスペシャルティカーの先駆けとして好評であったが、5ドアセダンは人気が出ず、少数販売にとどまった。しかしトヨタは6代目になってこれを復活させ、以後もこのボディ形式を日本に根付かせようとその後も努力を続ける。

欧米への輸出もトヨタ・コロナとして行われたが、海外でも好評をもって迎えられ、海外市場では日産(ダットサン)の優位は続いたものの、アメリカで販売ランキングベスト10入りを果たすなど好調であった。国産車の技術レベルが国際水準に達したことを立証したと言える。

1966年6月にマイナーチェンジを受け、ホーンリングやフロントグリル(バリカンと渾名されたデザインから格子状に)を変更、1967年6月にも小変更され、フロントマスクの再変更、バンパー位置のかさ上げ(米国安全基準対応)、リアコンビネーションランプの形状変更が行われた。この頃がコロナの絶頂期で、1967年9月にトヨタ自動車は月産8万台を達成した際、そのうち3万台を40系コロナが占めるほどの主力車種であった。これは単一車種の生産規模としてはVWビートルに次ぐ第2位であった。また、大韓民国の新進自動車(現:GM大宇)でもノックダウン生産された。

1968年4月には、「ゴールデンシリーズ」が登場、コロナ初のSOHC・1600cc(「7R」シングルキャブレター・85PS/「7R-B」SUツインキャブレター・100ps)エンジンが搭載されたが、これは同年9月に上級車種として登場するコロナ・マークII用エンジンの先行投入であった。僅か5ヵ月後にマークUが発売されると通常のコロナは2R1500ccエンジン搭載のセダン(スタンダード・デラックス)とバンのみに車種整理され、5ドアセダンは廃止され、あわせて大幅値下げが行われた。ハードトップや1600、そしてシングル/ダブルピックアップはマークUシリーズに移行した。このように1968年の段階ではトヨタはコロナシリーズ全体をマークUに移行させ、コロナは当面継続した上で自然消滅させる計画であったようにと思われるが、コロナの人気がその後も根強く、トヨタは結局マークUをコロナとは別の車種として育成し、コロナを残すこととなる。

コロナからの派生車種としては、1967年8月、2ドアハードトップのボディを用いてDOHC1600ccエンジンを搭載した「トヨタ・1600GT」が登場している。


4代目 T80型(1970年-1973年)
1970年2月、T40系がフルモデルチェンジされ、スタイルを一新してT80型として登場する。型式記号がT50からT80に飛んでいるのは、T50の後に登場した初代コロナマークUにT60/T70の型式名を与えたためである。コロナシリーズは当初、マークIIが4代目コロナとなる計画であったが、T40系の根強い人気から、新たに4代目コロナが別途開発されることになった。(このあたりの経緯についてはマークIIの項も参照)。

当初は4ドアセダンと5ドアバンのみの設定で、グレードはT20系以来の2R型OHVエンジンの1500スタンダード・1500DX、R40系ゴールデンシリーズのエンジンが再登場となる1600DX・1600SLの4種類であった。ライバルの三代目ブルーバード(510系)がすでにSOHCエンジン、四輪独立懸架を乗用車全車種に採用していたのとは対照的に、メカニズム的には旧態依然としたものであった。唯一画期的だったのは1600デラックスにノーマルとスポーツの二種類の変速モードが選べる日本初の電子制御式3速AT「EAT」(1980年代に「ECT」に発展する)が選択可能になったことであるが、発売地区が大都市圏に限定され、実際の販売台数は極めて少なかった。

三角窓を廃し、「サンダーウェーブ」と名付けられた、シンプルでありながらボディ側面の窓下に抑揚を効かせたスタイルを特徴とし、発売当初は「シルエット70」(セブンティ)と名付けられて宣伝されたが、同時期のカローラにも似たこの時代の典型的なデザインであり、注目度は低かった。

1970年8月には2ドアハードトップ(マフラーはデュアルを採用)が復活、エンジンはマークUと同じ1700cc・1900ccと1500ccであった。翌9月にはセダンも1600ccSOHCエンジンが6R型1700ccに変更され、1700DX・セダン1700SLとなった。更に1500は1971年2月に12R型OHV1600ccに換装され、1600スタンダード・1600・ハードトップ1600となった。

1971年8月、最初のマイナーチェンジを受け、角ばったフロントデザインに変更されて印象を大きく変えた。この時代の広告キャッチフレーズからT80系は、ブラボーコロナと通称される。

1972年8月には二度目のマイナーチェンジを受け、。フロントグリルやホイールカバー等のデザイン変更を受けた。この際、2ドアハードトップのみに設定されていた1900が、同年1月のマークUのフルモデルチェンジを追う形で2000ccに変更される。エンジンは「18R-B」型(SOHC・ツインキャブ)および「18R-E」型(SOHC・EFI)で、グレードは2000SL、同EFI、そして新たに追加された2000SRである。このマイナーチェンジの際、EATはマニュアルモードが選択可能なものに改良され、1700デラックス、2000SLに選択可能となった。1973年4月には、昭和48年排出ガス規制対策を受けた。

T80系コロナは上のマークII、下のカリーナ(1970年12月登場)に挟まれた中途半端な存在で、往年のベストセラーカー・コロナとしてはやや影の薄い存在となった。四代目ブルーバード(610系・ブルーバードU)に対しても販売成績は劣勢に立たされた。「安全性」をキーワードにコロナが再び新たな存在感を取り戻すのは次のT100系になってからである。


5代目 T100型(1973年-1978年)

1973年8月31日に発売されたT100系は、先代同様4ドアセダン、2ドアハードトップ、5ドアバンの3種類で登場したが、キーワードを「予防安全」として、安全性への配慮をアピールしたことが当時としては目新しかった。また、設計の古いR系のOHVエンジンがようやく姿を消し、カリーナと同じ2T型が搭載されることになり、出力は83馬力から一気に100馬力となった。

T100系の設計に当たっては、試作車のあらゆる面を手で触れて、危険な突起物がないかを確認するテストも行われたと言われ、対米輸出車向けの衝撃吸収バンパー(5マイル・バンパー)や、メルセデス・ベンツ初代Sクラスのようなサイドプロテクションモールが1800GL・1800SL・2000SL・2000GTにオプション設定され、機械の異常を知らせる11の警告灯がオーバーヘッド・コンソールに「OKモニター」として装備されるなど、従来の方向性とは異なる方向性を打ち出した。スタイル的にも特に4ドアセダンでは視界の良さを強調する古典的なノッチバックスタイルを採用し、同時代の四代目ブルーバード(610系・ブルーバードU)や初代バイオレット(710系)が後方視界を犠牲にする装飾過多なデザインであったのとは好対照で、かえって新鮮な印象を与えた。

折りしも同年秋には第一次石油危機が到来、高度経済成長期のスピードや豪華さを追及する生き方が見直される風潮になったことで、コロナの人気は回復した。1973年12月から1976年10月まで、小型乗用車市場1400-2000ccクラスで35ヶ月連続、ベストセラーの地位を確保した。(小型国内販売登録台数・自販連調べ)。

1973年10月、2ドアセダンの1600デラックス・1600GL・1800SR・2000SRが追加された。2ドアの需要はアメリカではあったと思われるが、日本市場ではほとんど需要がなく、歴代のコロナとしては最初で最後となった。12月にはタクシー仕様車として1600スタンダード、1600デラックスが追加され、1800デラックスにも個人タクシー仕様がメーカーオプションで設定された。

この当時の日本の自動車業界は排気ガス対策に忙殺されており、5代目コロナも目まぐるしく変更を受ける。まず、1975年2月、には本田技研工業から導入したCVCC(複合渦流燃焼方式)の技術を用いて昭和50年排出ガス規制に適合する19R型エンジン搭載の4ドアセダン2000デラックスが登場した。2000ccとはいえ最高出力は80馬力に過ぎず、シリーズ中最も鈍足であった。このエンジンは当初単に「クリーンエンジン」と呼ばれたが、触媒方式の「TTC-C」が登場すると、「TTC-V」(“V”はVortex(渦流)の略)と呼ばれるようになった。1975年10月には1600・2000GTが昭和50年排出ガス規制に適合する。いずれもTTC-C方式を採用し、1600のエンジンは2T-U(90PS)に、2000GTは18R-GU(130PS)となった。タクシー向けは12R-U(LPG仕様70PS)であった。この時点でEFI付きの18R-E搭載車(2000SL・2000SR)は廃止された。続いて11月に1800が昭和50年排出ガス規制に適合したが、SUツインキャブ仕様は廃止され、1800SLはシングルキャブレター仕様に変更され、2ドアセダン1800SRは廃止となった。バン1600、バン1800も商業車の昭和50年排出ガス規制適合となり、1600スタンダードも12Rエンジンから2T-Jエンジンに変更された。また、サイドに木目パネルを貼ったバン1800DXカスタムが追加された。1976年6月には触媒方式(TTC-C)による昭和51年排出ガス規制適合の2000シリーズ(C-RT122。18R-U/シングルキャブ)が発売された。グレードはデラックス・GL・SL。

1977年1月にはマイナーチェンジを受け、外観、内装を大幅に変更したが、センターグリルを強調した新しいフロントグリルは余り好評とは言えず、連続ベストセラーの記録もここで途切れる。この際、シートベルトがELR式となった(1600スタンダードを除く)他、タクシー仕様車、2000GTが昭和51年排出ガス規制適合となり、タクシー仕様車にN40型トランスミッション(オーバードライブ付きコラムシフト)が追加され、1800DXカスタムに代えてバン1800GLを設定した。個人タクシー仕様の設定を1800DXから2000DX(18R-U車のみ)に変更した。

1977年10月、再び内外装の変更を受け、ホイールカバーが廃止されキャップレスホイールになるなどの変更を受け、モケット地のシートなどを持つ「エクストラインテリア」仕様がGLに追加された。また、セダン及びハードトップの1800のMT車が昭和53年排出ガス規制に適合した。


6代目 T130型(1978年-1982年)
六代目は1978年9月に登場、この代より車名が「トヨタ・コロナ」となり、長年親しまれたトヨペットの名は廃止された。4ドアセダン、2ドアハードトップ、5ドアバンが設定され、売れなかった2ドアセダンは消滅した。

デザインは好評だった5代目のイメージを継承したが、当時流行の角形4灯式ヘッドライト(バンとセダンのタクシー仕様は丸型4灯)が新しく、衝撃吸収バンパーも新設計のウレタン樹脂製に改められた。また、1600(88馬力)、1800(95/EFI105馬力)、2000(105馬力、DOHC車は135馬力)とも昭和53年排出ガス規制に適合し、ようやく排気ガス規制対応の重圧から逃れることが出来た。また、RT20改良型以来のサスペンションがようやく時流に合わせて変更され、フロントがストラット式コイルスプリング、リヤがトレーリングリンク車軸式コイルスプリングに変更された(セダンのLPGタクシー仕様とバンはリーフスプリングのままであった)。

ブレーキは全車に前輪ディスクブレーキ(セダンのタクシー仕様を除く)を装備する他、1800SLツーリング・2000SL・2000GTには後輪ディスクブレーキ、9インチ大型ブレーキブースターも装備され、オーバードライブ付4速ATが新設定のノーマル系トップモデル・2000CXに設定された。

一ヶ月遅れの1978年10月、RT56系以来10年ぶりの5ドアセダンである「LB(リフトバック)」を追加、再度5ドアハッチバックの普及を試みたものの、やはりさしたる販売実績を残せなかった。1979年8月には1800SLにAT車を追加し、トランク右側の「TOYOTA」エンブレム大型化する小変更が行われた。

1980年8月、マイナーチェンジでスラントノーズ化。ハードトップとリフトバックのヘッドライトを異形2灯式に変更した。セダン1800GLには3速コラムAT&分割式ベンチシート車を追加(余り売れなかった)、1800cc全車(E-TT131型)にパワーステアリングを標準装備、CXを「CXサルーン」に名称変更し、1800を追加するなど車種体系を変更し、その他60項目に及ぶ改良を行った。この際、セダンの3速マニュアルコラムシフト車はLPGタクシー仕様のみになり、LPGタクシー仕様の2000STD・DX(5R-U型)には3速フロアAT車が追加された。

1981年3月、25周年記念車としてセダンDXをベースにパワーウインドウなどの装備を追加した「エクストラサルーン」を発売、同時に2000GTに新仕様車を追加した。

T130系はスタイルよりも内容の近代化に努めたモデルであったが、1979年11月に六代目ブルーバード(910系)が清新なスタイルで登場すると一気に古臭く見えるようになり、ターボエンジン化や前輪駆動(FF)化(1976年のホンダ・アコードに続き、1982年にはマツダ・カペラがFF化)などの技術革新の波に取り残されるようになっていた。


7代目 T140型(1982年-1998年)

1982年1月登場。角ばったスタイルへと変貌し、若年層にも好評だった六代目ブルーバード(910系)に対抗すべく、スタイリッシュなイメージを強調した。また、この代からプラットフォームがカリーナ・セリカと共有化された。特にハードトップはセリカがベースとなって、セダンベースの従来車より車高が低くなり、インストルメントパネルもセリカと共通イメージとなったため、従来のコロナのイメージを脱却したスポーティなデザインとなった。5ドアセダンは一旦消滅したが、1年後にT150系で再度復活する。

1982年10月、それまでの2000GT(18R-GEU型エンジン搭載)に代わり、1800ccツインカムターボの3T-GTEU型エンジンを搭載したGT-T・GT-TRが登場、1983年10月には前輪駆動のT150系に4ドアセダンが登場したのを受けて、登場僅か2年足らずでセダンが車種整理を受け、廉価グレード(スタンダード・デラックス・GX)とスポーツ仕様のGT系のみが残されることとなった。同時にマイナーチェンジを受け、4A-GEU型エンジン搭載の1600GTと、1800GT-TR相当の装備を持つ1600GT「スポーツ7」パッケージが登場する。また、バン(カリーナと共通のボディを持つ)のガソリンエンジンが1600ccの12T-Jから1500ccの5K-Jに変更された。

1985年8月、2ドアハードトップが廃止され、後継車種である前輪駆動のコロナクーペにモデルチェンジ、セダンのGTシリーズはFFセダンへ移行し、自家用乗用車向けT140の生産は終了する。1987年12月にはバンも販売終了となり、T170型に移行した。

歴代コロナの中でも異例に短いライフサイクルとなったT140系は六代目ブルーバード(910系)打倒という使命を果たすことなく、スポーツモデル専用車として変則的なモデルライフを送った。そしてこれが最後の後輪駆動のコロナとなった。

T140型タクシー仕様

タクシー仕様は当初は自家用モデルと同様で、1982年1月の発表時にはディーゼルのみ登場し、同年9月にLPG車も新型に移行した。自家用モデルの大幅縮小後も継続生産されていたが、1986年12月に大幅なマイナーチェンジを受け、フロントドア以外の外板がすべて変更されフロントグリルはA60型カリーナバン(スーパーDX仕様車は独自設計)のものを流用、その他にもフェンダー等にA60型カリーナセダンのものを流用し全長が140mm切り詰められ、Cピラーを立たせて室内長を40mm長くすることで乗降性を向上させるという大変更を受けた。同時にディーゼル車のエンジンは1800ccの1C型から2000ccの2C型に変更され、ディーゼル車のリヤサスペンションは4リンク式コイルリジッドサスからリーフリジッドサスに格下げされた。一方、操舵方式はボールナット式からラック&ピニオン式に変更された。

日本国内のみならずシンガポールなどにも輸出され、小型タクシーとして親しまれたが。1991年11月、ディーゼル仕様が廃止となり、1995年12月のトヨタ・コンフォート登場後も併売されていたが、1998年4月に販売終了となり、小型タクシー用車はコンフォートに一本化された。


8代目 T150/160型(1983年-1987年)
コロナ初の前輪駆動車のT150系は1983年1月、「コロナFF」として登場した。当初は5ドア・ハッチバックのみの設定で、T140系の派生車種という位置付けであった。当時のトヨタは前輪駆動への転換に慎重な姿勢を取っており、FFとFRの2つのコロナを並行して販売して市場の反応を見極めようとしていたようである。

T150系のスタイリングはそれまでのモデルとは継続性が余り感じられない新しいデザインであった。エンジンもFFカムリ/ビスタで登場した1800ccガソリンの1S-LU型のみの設定であった。

1983年10月、6ライトウィンドウを採用した4ドアセダンが追加され、T140系の主力車種に取って代わりFF系がシリーズの中核となった。エンジンバリエーションには1800ccにEFI付きの高出力版の1S-ELU型、1500cc3A-LU型、2000cc2C-L型ディーゼルが追加された。キャブレターの1S-LUはセントラル・インジェクション仕様の1S-ILU(Ci)に換装された。また、ATに4速も選べるようになった。

1985年8月、マイナーチェンジを受けて内外装を変更し、リアコンビネーションランプが大型化される。4ドアセダンにはDOHCエンジン搭載車(3S-GELU型、2.0GT、2.0GT-R 型式E-ST162)が追加された(型式E-ST160)。GT系はFFカムリ・ビスタ同様の5穴ホイールとなる。また、1S-ELU型エンジンを積むスポーティグレード・1800SX-Rも追加された。

1987年12月、モデルチェンジに伴い生産・販売を終了した。


9代目 T170型(1987年-1992年)

9代目となるT170系は1987年12月に登場。4ドアセダンと5ドアセダンを設定。5ドアセダンには「SF」というサブネームが付いた。SFとは「センセーショナル・フィール」の頭文字である。欧州仕様は「CARINA II」の名称で販売された。

エンジンは2000cc3S-GE型と3S-FE型、1800cc4S-Fi型、1500cc5A-F型のガソリンと2000cc2C型ディーゼルを用意。また同時にバンもフルモデルチェンジされ前輪駆動化された。バンのエンジンは1500cc3E型ガソリンと2000cc2C型ディーゼルの設定であった。スポーティグレードの「GT」はこの代が最後となり、6代目のリフトバック以来の5ドアセダンのGT「SF-GT」は、最初で最後のFF5ドアの「GT」であった。

1988年8月、セダンに4WD(1600cc、4A-FE型)が追加される。既存車はATシフトロックを追加。

1989年11月、マイナーチェンジを受ける。外観は、フロントグリルのルーバーが横型から縦型になる(バンのフロントは変更なし)。また、リアガーニッシュとテールランプが横一列タイプになり、リアナンバープレートがバンパー下部に移動された。エンジンは1800と1500がEFI化され4S-FE型、5A-FE型にパワーアップされ、2000ccのGTは無鉛プレミアムガソリン化で165馬力にパワーアップした。

1990年5月、トヨペット店累計販売1000万台達成記念車「コロナスーパールーミー」(Corona Super Roomy)を追加。4ドアセダンの全長を210mm延長したストレッチリムジンで、500台限定販売。庶民的なコロナをリムジンにしてしまうという、バブル期の象徴のような車であった。それでも全長は5ナンバー枠に収まっていた。

1992年2月、モデルチェンジに伴いセダン並びにSFの販売が終了したが、バンは同年11月のカルディナ登場まで生産され、T170系が最後のコロナ・バンとなった。


10代目 T190型(1992年-1996年)
1992年2月に登場したT190系は先代に引き続き、4ドアセダンと5ドアセダンの「SF」を設定。欧州仕様は、「CARINA E」という名称で、イギリス・ダービーシャー州、バーナストンのトヨタ工場で現地生産された。

外寸は大型化され、カローラ(E100系)に似た丸みを帯びたデザインとなった。グレードは、GX(1.6/1.8/2.0 4WD/2.0ディーゼル/2.0ディーゼル4WD)、セレクトサルーン(1.6/1.8/2.0、4WD/2.0ディーゼル/2.0ディーゼル4WD)、EXサルーン(1.6/1.8/2.0/2.0 4WD/2.0ディーゼル/2.0ディーゼル4WD)、EXサルーンG(1.8/2.0)があったが、GTなどのスポーティグレードは姿を消した。スポーティグレードの廃止は需要低下の結果であったが、同時にユーザーの高齢化傾向を一層助長することにもなった。 

1994年2月にはマイナーチェンジを受けた。これはバブル景気終息後の不況下にコストダウンを狙って行われたもので、フロントグリルをカラード化(車体と同色化)する一方、サイドプロテクターを素地色とし、前後バンパーにも素地色のプロテクションモールを装着。また、横一列タイプだったリアガーニッシュとテールランプは左右に分割させて小型化し、リアナンバープレートをバンパーからトランクリッドに移動させた。

1996年1月、最後のコロナとなるT210型に世代交代し販売を終了した。


11代目 T210型(1996年-2001年)
1996年1月登場。車名にサブネームが付き、「コロナ・プレミオ」(Corona Premio)となった。4ドアセダンのみの設定となる。この最後のコロナの開発テーマは安全性の強化とコストダウンであった。全車に助手席エアバッグや後席中央席への3点式シートベルトを標準装備すると共に、「GOA」と呼ばれる衝突安全設計のボディなどの安全装備を充実させ、寒冷地仕様車にはリア・フォグランプを標準装備するなど、当時の水準以上の安全装備が施された反面、ドアパネル等の部品は同時期のカリーナと共用になり、内装はグローブボックスの鍵が廃止されたり、安手の木目模様のプラスチックを多用したり、車体・インテリアのカラーバリエーションを非常に絞り込むなど徹底的なコスト削減が行われた。

エンジンバリエーションは、2000cc(3S-FE型)、1800cc(7A-FE型)、1600cc(4A-FE型)、そして2000ccディーゼル(2C型)であったが、トヨタ初のガソリン直噴エンジン「D-4」(Direct Injection 4-Stroke) 2000cc(3S-FSE型)145ps/20.0kgmも追加投入され、当初は特別仕様車として販売(本革シートなども装備されていた)された。

1998年にマイナーチェンジを受け、不評だった木目パネルの質感の向上、内装色の追加、後席中央へのヘッドレストを追加するなどの改良を受けた。ディーゼルは2200ccターボ(3C-TE型)に変更され、ディーゼル4WD車についてはトランスミッションが5速MTのみから4速ATのみの設定へ変更され、直噴エンジン搭載モデルが正式にカタロググレードとなる。

2001年12月、後継のプレミオの登場に伴い、製造終了。44年5ヶ月の歴史に幕を降ろした。

参照 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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