日産:インフィニティ Q45中古車情報!カタログ・在庫
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中古車在庫情報・カタログ情報や最新ニュース、オーナーの口コミなど♪ 日産:インフィニティ Q45の概要♪初代 G50型 (1989-1997年) ![]() 日本国内での登場は1989年11月。本来は「インフィニティ」がブランド名、「Q45」がモデル名であるが、日本では「日産・インフィニティQ45」として販売された。 翌年、このクルマ(G50型)をベースとしてプレジデント(JG50型 JはJapan、日本国内専用の意といわれている)が誕生している。 Q45は「ジャパン・オリジナル」のキャッチフレーズの元、一般的な高級車のようにメッキ仕上げの大型フロントグリルや木目インテリアを備えることなく、グリルレスの薄いマスクに七宝焼きのエンブレムのみを取り付け、インテリアも漆塗り(金粉蒔絵)という、世界の高級車の常識に挑戦するかのような斬新なコンセプトで発表された。日本文化を体現する一方で、その走りは北米市場の日産に対する期待を反映し、若かりし頃240Zに夢中になった「Z Car世代」をターゲットとしたスポーティーなものとされるなど、こちらも異色であった。グリルレスのそのマスクは、一部のファンから「能面顔」と揶揄されてた。 一時は、レクサス LSとの個性の違いから、一部での評価は高かったものの、実際にこのクラスのクルマを購入する層の多くには受け入れられることは無かった。それはレクサスLSが正統派の高級車像を追い求め、それを高度に洗練していったのに対し、Q45はそういった旧来の高級車像とはかけ離れた、いわばスポーツカー的な価値観を追い求めていたことにある。 そしてその特徴的だったグリルレスデザインも不評であり、アフターマーケットで販売されていたホシノインパル製などのフェイクグリルを装着するユーザーが多く、エアロパーツのメーカーも自社のエアロに合わせて後付けのグリルを開発していた。その後当初の志とはうらはらに、1993年6月のマイナーチェンジでグリルや木目パネルを取り付けられることになる。 足回りは、マルチリンク式サスペンションで、オプションに油圧式アクティブサスペンションがラインナップされていた。 結局、日産Q45はトヨタセルシオにより、このクラスでの国内市場では完全敗北を喫することになり、インフィニティのブランド名自体も国内から駆逐されることになる。 だが新型車販売こそ不振だったものの、その車格ゆえに中古車市場ではプレジデントと並び人気VIPカーの一つとして持ち上げられるようになり90年代後半には巷で多く見かけられた。 北米仕様においては、ベースグレードのQ45のほかに、リアスポイラーやBBSのホイールなどが装備され、日本仕様には無いスーパーHICASの設定もあったツーリングモデルの「Q45t」、アクティブサスペンションなどが装備された「Q45a」が設定された。また、日本仕様に比べてパーソナルカー的な性格が強かった。
2代目 FY33型 (1997-2001年) ![]() 車名こそ初代同様Q45であったが、搭載するエンジンは4.1LのVH41DEを搭載していたため、しばしば「Q41」と呼ばれた。 1998年には小変更が施され、HIDヘッドライトやアナログ時計が装備され、Q45tでは17インチアルミホイールや電子制御サスペンションが標準装備された。 また、1999年モデル以降はトランク部のフィニッシャーが廃止されて、シーマとの差別化が図られた。 3代目 F50型 (2001-2008) ![]() 2001年にモデルチェンジしたシーマの姉妹車。販売不振により販売を終了したが、カー・アンド・ドライバー誌やコンシューマー誌などでは評価が高く、広告不足とインフィニティのブランド力の不足が販売不振の原因と言われている。
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