日産:サニー中古車情報!カタログ・在庫


中古車情報

中古車在庫情報・カタログ情報や最新ニュース、オーナーの口コミなど♪
 ⇒  サニー中古車総合情報

 日産:サニーの概要♪


初代 B10型(1966年-1970年)

1965年12月に、日産自動車としては初の新型車名公募キャンペーン実施、ティザー/プレキャンペーンをマスコミで展開。翌1966年2月、約800万通の応募からサニーが決定された。

その後1966年4月にB10型2ドアセダン発売開始。発売当初の正式車名は「ダットサンサニー」。

大型プレス材を用いて少ないパーツで組み上げられた軽量モノコックボディのデザインは、サイズやサスペンション構造共々、1962年に開発されたドイツの小型大衆車オペル・カデット(そのバッジエンジニアリング版にあたるイギリスのヴォクスホール・ヴィーヴァを含む)の影響が非常に強いものであった。アメリカ資本の欧州メーカー製小型乗用車からの影響は、後輪駆動時代のサニー、カローラ双方において非常に色濃い。

ボディタイプは順次追加され、2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、2ドア/4ドアライトバン、トラックの計6種類のラインナップとなる。

また、その後改良を受けつつ30年にわたって作り続けられた傑作エンジン「A型」は、もともとこの初代サニー用に開発されたのが最初である(当初、直列4気筒 1,000cc ハイカムシャフトOHVのA10型)。軽量・簡潔でバランスの良い経済型エンジンであるだけでなく、高回転まで軽快に回る良好な特性を備え、レーシングエンジンとしてのチューニング・ポテンシャルも高かった。当初3ベアリング仕様だったが、のち5ベアリング仕様となって強化されている。


2代目 B110型(1970年-1973年、トラック1971年-1994年)
1970年1月にB110型にモデルチェンジ。ボディタイプは2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、バンの4種類。フロントサスペンションに本格的なマクファーソン・ストラット独立懸架を採用すると共に、車体は若干大型化され、初代モデルの華奢な印象を払拭した。カローラを意識した発売時の広告コピー「隣のクルマが小さく見えます」は、良くも悪くもこの時代のメーカーと大衆双方が持っていた上昇志向を象徴するものとして、後年まで広く伝えられている。

エンジンは直列4気筒OHV A12型1200ccエンジンで、高回転に適した5ベアリング式となり、当初から5ベアリング4気筒を採用していたカローラに対抗し得るものとなっている。

1971年4月には4ドアセダン、クーペに「エクセレント・シリーズ」が追加された。オリジナル車に対してフロントオーバーハングを130mm、ホイールベースが40mmそれぞれ延長された。エンジンはロータリーエンジンは間に合わずレシプロのみでのデビューとなったが、サニーとしては初となる、SOHCエンジンである直列4気筒SOHCL14型1400ccを搭載。半球型の燃焼室を持ちクロスフローセンタープラグ式ながらOHVであったT型エンジン搭載モデルのE20系カローラ1400モデルを意識したものだった。

B120型サニートラックは、B110型が生産終了後もマイナーチェンジを受け、日本国内向けは1994年3月まで23年間生産が続けられた。後継モデルのB210系がピックアップトラック化に適さない設計であったことが原因であるが、B120の設計が優れていたことも一因である。B120系列は「サニトラ」の愛称で広く親しまれた。

通常モデルは軽量でかつドライバビリティに優れ、トータルバランスで卓越した傑作大衆車であった。アメリカ市場では当時のアメリカでの市販車で最良の省燃費車であることが燃費テストによって判明し、市場から評価されて日産車の販売実績向上に貢献した。

また日本ではレーシングマシンのベースカーとして成功を収め、生産中止後も非常に長期に渡ってレースフィールドでの強豪モデルとしての地位を保ち続けたことで有名である。レースチューニングされたA型エンジンは10,000rpmを超える高回転に達し、変哲もない実用向けの原設計からは想像しがたいほどの驚異的ポテンシャルを見せた。

しかしながら、位置付けの中途半端な豪華版の「エクセレント・シリーズ」という派生型の出現は、サニーの販売戦略(更には日産の乗用車販売戦略全体)の不安定なぶれを露呈したものであった。これ以降も日産大衆車の二本柱であるサニーとブルーバードの開発・販売施策は、競合するトヨタのカローラとコロナ、マークIIに、後々まで翻弄され続けることになる。


3代目 B210型(1973年-1977年)
1973年5月にB210型にモデルチェンジ。ひと回り大きくなり、同社のチェリーや610型ブルーバードU、710型バイオレットなどにも通じる、北米市場を意識した曲面要素のあるデザインとなるが、商業戦略上の肥大化であったことは否定できない。ホイールベースは共通で、エクセレントはフロントオーバーハングの若干の延長にとどまる。
ボディタイプは2ドア / 4ドアセダンとクーペ、2ドア / 4ドアバンの5種類。この型からクーペは大型のハッチバックを持つ形状になった。

また、先代同様、1200ccのA12型エンジンとエクセレント用1400cc・L14型エンジンの2種の排気量を持ち、それぞれにシングルキャブ仕様とツインキャブ仕様を設定。

エクセレントにはサーボ付ディスクブレーキが全車に標準装備された。ただし、サニー1200ではデラックス以下はドラムブレーキとなる。

エクセレント・クーペのリアには小振りな3連丸型コンビネーションランプを配し、ユーザーからはロケットの噴射口になぞらえて「ロケット・クーペ」と呼ばれた。

1976年2月にはマイナーチェンジが行われ、エクセレント用のエンジンが1400cc・SOHCのL14型から1600cc・SOHCのL16型に変更された。また、1400ccエンジン車にはかわりにF10型チェリー用のOHV・A14型エンジンが搭載された。1200ccのA12型は引き続き搭載。

同年7月には、A14 型エンジンにツインキャブレターを装備した 1400 GX ツイン (GX-T)が登場、サニーのスポーツイメージの象徴であった GX の復活となった。

1977年にB310型にバトンタッチし、生産終了。


4代目 B310型(1977年-1981年、バン1977年-1983年)
1977年11月にB310型にモデルチェンジ。オイルショック後のベーシックカーとして、華美に傾き過ぎたB210系での反省からB110型を彷彿とさせる機能的で簡潔な直線的造形へと原点回帰した。

エクセレントシリーズは廃止され、全車OHV・A型エンジン搭載車(1200ccのA12A型と1400ccのA14型)のみとなった。また、このモデルは(トラックのB120型を除く)サニーとしては最後の後輪駆動車である。

1978年12月には一部改良が行われ、フロンドディスクブレーキが拡大採用され、衝撃吸収バンパーが新設された。また、バンにシティDX及びスーパーDX-Aを追加し、バンのスタンダード仕様はこの一部改良でさらに廉価仕様となる。

1979年10月のマイナーチェンジではバン以外のフロントノーズのスラント化と同時にリヤナンバープレートの位置がバンパー上に移動され、当時流行の角型ヘッドライトなどを採用(バンを除く)した。バンは従来顔のまま54年排ガス規制適合でB311型へ。

1980年11月のマイナーチェンジでは1200を1300(1300ccのA13型)に、1400を1500(1500ccのA15型)にそれぞれ変更し、外装は、フロントグリル中央横方向に一本、カラーラインが入った。また、フロントグリルはファミリータイプには横バーグリルに青い「S」バッジ、スポーティタイプにはハニカムグリルに赤い「S」バッジが採用されていた。

また、北米市場ではダットサン・210として販売された。


5代目 B11型(1981年-1985年)
1981年10月にB11型にモデルチェンジ。時代の趨勢に合わせて駆動方式を前輪駆動に改め、エンジンも一新。SOHCへ移行、サニー初のタイミングゴムベルト駆動となる。

それまで日本国内で「ダットサン」ブランドで販売されていたサニーも、B11型へのフルモデルチェンジを機に、正式車名を「日産・サニー」へと切り替える。

ボディタイプは4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペ、5ドアワゴン(カリフォルニア)。先代モデルまで存在した2ドアセダンは輸出仕様のセントラには継続して設定され、バンはB11型のコンポーネンツを流用したADバンとして独立している。

1982年9月には4ドアセダンと3ドアハッチバッククーペに大衆車クラスとしては初の試みとなる1,487ccターボチャージャー付 E15ET型搭載の「ターボルプリ」が追加された。鏡文字の「TURBO」が書かれたラジエーターグリルを特徴とする。

また、1982年10月には4ドアセダンおよびカリフォルニアにサニー初のディーゼルエンジン車が設定され、直列4気筒SOHC・1680ccのCD17型を採用した。最高出力はグロス値で61馬力を発生した。

1983年10月にはマイナーチェンジが行われ、それを機に3代目B210型より続いてきた6ライトウィンドウ&ファストバックスタイルの3ドアハッチバッククーペが廃止された。さらに世界的に主流のコンパクトな2BOXスタイルの3ドアハッチバック発売。

1983年秋の第25回東京モーターショーにはB11型サニーをベースとした「ニッサン NRV-II」が参考出品された。樹脂材料を活用した軽量化、E13型エンジンをベースにしたメタノールターボエンジンを搭載する等、数多くの技術を盛り込まれていた。

また、モデル末期となる1985年1月にはターボ車のターボチャージャーが油冷式から信頼性と耐久性に優れる水冷式に変更された。


6代目 B12型(1985年-1990年)
1985年9月にB12型にモデルチェンジ。通称「トラッドサニー」。デザイン、構造において1984年から日産でライセンス生産を行っていたVWサンタナの影響を受け、品質・性能とも大きく向上を果たしたモデルである。B11系では未熟な面も否めなかった日産の前輪駆動システムは、このモデルにおいて大幅な改善を達成した。

ボディタイプは2/4ドアセダン、3ドアハッチバック(303,305)、5ドアワゴン(カリフォルニア)。2ドアセダンは国内仕様のラインナップにはない。さらに、ボディ一体型のウレタンバンパー(上級モデルはカラードバンパー)を採用し、直線・平面基調の独特なデザインとなる。丸円にSの文字をモチーフにしたエンブレムがフロントグリル中央に設置(B13型前期まで踏襲)。

車重はやや増加したが、ボディ剛性や品質面を改善した。この代から高張力鋼板および亜鉛ニッケル合金メッキを用いた防錆鋼板が用いられるようになった。この点ではデザイン共々VWサンタナの影響が強い。また、4WDはパートタイム方式で唯一セダンのみに設定された。

1986年2月にはクーペの「RZ-1」(アール・ズィー・ワン)が追加された。シャシーはセダン/ハッチバックと共通だが、外板の約70%は専用設計。シャープで鋭角的な独特のフロントマスクを与えられた。

また、同年8月にはサニー初のDOHCエンジン搭載グレード「セダン スーパーサルーンツインカム」、「ハッチバック 306ツインカムNISMO」、「RZ-1 ツインカムNISMO」が新設定された。エンジンはCA16DE型。

1987年9月にはマイナーチェンジが行われ、外装ではフロントマスクと特にリアコンビネーションランプやナンバー取付け位置などが変更された。また、1500ccガソリン車のエンジンが「スーパー・インテークエンジン」と呼ばれる直列4気筒SOHC・12バルブのGA15型に換装された。1300cc車は従来どおりキャブレター仕様のE13S型のみ。これに伴いE15ETターボエンジン車はモデル廃止。グレードは「1300GL/1500GL」が「1300EXサルーン/1500EXサルーン」に改名。また、「1500SGL」に代わって新たに「1500SXサルーン」を設定。セダン/カリフォルニアの「1500スーパーサルーン」系のフルオート・フルタイム4WD車にはメカニカル式ABSがメーカーオプションで設定された。

また、1989年1月には一部改良が行われ、セダンのEXサルーンのグレード名をEXに変更し、スーパーサルーン系のグレードに「スプレンド」シリーズを設定。セダンにも「NISMO」シリーズを新設定された。


7代目 B13型(1990年-1993年)

1990年1月にB13型にモデルチェンジ。好評を博したB12型からのキープコンセプトであるが歴代モデルで最も高品質を追求したのが特徴。ボディは4ドアセダンのみ。クーペモデルはサニーの名を冠せずNXクーペとなる。

同年10月に5ドアワゴンのカリフォルニアがフルモデルチェンジ。こちらは2代目ADバン・ADワゴンとボディをほぼ共有するため車体形式がY10型となる。

エンジンはガソリンエンジン全車をDOHC化。シングルチェーンを用いた上下2段のタイミングチェーンでカムシャフトを駆動している。1600ccのGA16DE型のみサニー初の可変バルブタイミング機構が装備されている。サニー初の1800ccガソリンエンジンも設定された。グレードは1.8GT-Sで、DOHC16バルブ・プレミアムガソリン仕様・140PSのSR18DE型を搭載。

このモデルから多くのグレードに油圧式のABSがメーカーオプション。なお、1.8GT-S以外のグレードでABSをメーカーオプションで装着するとリアブレーキがディスクブレーキとなる。

一部の塗装色に限り、メーカーオプションでスーパー・ファインコート塗装(フッ素樹脂塗装)が選択することが出来た。

4WDは1500cc車にはフルオート・フルタイム4WD、1800cc車にはアテーサ、ディーゼル車(後に追加)はパートタイム4WDを採用。ディーゼル車はマニュアルのみ。

1992年1月にはマイナーチェンジが行われ、フロントグリルのエンブレムがSマークから日産のCIに変更。バンパー、プロテクターの形状変更。ホイールキャップのデザイン変更。同時に九州工場での生産を開始した。

1993年12月に日本での生産・販売終了。B13セダンは現在でもメキシコ工場でTSURU(ツル)の名称で数回のアップデートを重ねつつ現地生産されている。


8代目 B14型(1994年-1998年)
1994年1月に、B14型にモデルチェンジ。ユーザーの若返りや大幅なコストダウンを課題として開発された。ボディタイプは4ドアセダンのみ。ただしクーペモデルのルキノは、前期型のみサニー・ルキノの名でも販売されていた。
ホイールベースを延長(B12型およびB13型に対して105mm延長)、居住性を向上させ、FF車のリアサスペンションに新開発のマルチリンクビームサスペンションを採用した。

4WDシステムはガソリン車はフルオート・フルタイム4WDが、ディーゼル車にはアテーサがそれぞれ採用。また、ガソリンエンジンはすべてマルチポイントインジェクション化。直列4気筒DOHCエンジンの1,300ccGA13DE型と1,500ccGA15DE型を改良して搭載。「スーパーツーリング」にはプレミアムガソリン仕様の1,800ccSR18DE型またはレギュラーガソリン仕様の1600ccGA16DE型を搭載。ディーゼルエンジン車は2,000ccのCD20型となった。

その後、B14型登場から4か月後に1,500cc車にリーンバーン仕様である「1.5CX」を追加。 1995年9月には中期型にマイナーチェンジされ、内外装をフェイスリフト。リアデザインが大きく変わり、リアコンビネーションランプが大型化された。また、運転席SRSエアバッグが全車標準装備された。

1997年5月には後期型にマイナーチェンジ。内外装変更。大型のフロントグリルが与えられたほか、前席SRSデュアルエアバッグ、ABSが全車標準装備される。SR18DE車が廃止されたのでスーパーツーリングが1500ccと1600ccになった。

1998年10月に、B15型へのフルモデルチェンジに伴い販売終了。


9代目 B15型(1998年-2004年)
1998年10月にB15型にモデルチェンジ。ボディタイプは4ドアセダンのみでなおかつ歴代サニーで唯一派生モデルが存在せず、完全な国内専用車となった。プラットフォームはMSプラットフォーム。

開発主管は、B14型に引続き深井吉男が担当。

エンジンは新開発のQG13DE型、QG15DE型リーンバーン/LEV、可変バルブリフト&タイミング機構付き「NEO VVL」を採用したSR16VE型、QG18DD型NEO Di直噴ガソリンの4機種6仕様のエンジンが用意されていた。また、サニー初となる、ハイパーCVTの搭載モデルが存在した。

ヘッドランプのバルブは特殊なIH01形を採用。

スポーツグレードである「1.6 VZ-R」には、B14型ルキノやN15型パルサー/ルキノハッチで採用された青いヘッドカバーの1600cc「NEO VVL」エンジンSR16VE型を搭載。無鉛ハイオク仕様。トランスミッションは5速MTのみ。エアコンはマニュアルエアコンのみの設定で、「スーパーサルーン」系とほぼ同等の装備を有する。312台の少数販売にとどまり、2000年8月に販売終了。

2002年5月にはマイナーチェンジが行われ、バンパーの全塗装化、フロントマスクの変更、アクティブヘッドレストの採用および内装の仕様変更がなされたほか、排出ガス規制強化にともない2200cc直噴ディーゼルエンジン(YD22DD)と1800ccNEO Di直噴ガソリンエンジン(QG18DD)がラインナップから落とされる。車名ロゴが「Sunny」から「SUNNY」に変更され、CIも現行のものに変更された。

最終型にあたる9代目(B15型)サニーは、モデルの伝統に沿った昔ながらの実直・堅実な内容のコンパクトセダンではあったが、その伝統的コンセプト自体が陳腐化しており、ユーザー層の縮小と高齢化傾向も顕著で、発展性が非常に乏しくなっていた。

市場における車種の多様化とミニバン指向で日本市場での低迷は著しく、日産は企業改革および変革の一策として、普遍的ブランドとしての寿命が明らかに尽きた「サニー」に見切りを付けたと言える。1960年代の大衆車として世に出たサニーは固定ユーザーと共に老いた「老人車」として2004年10月をもって38年の歴史に幕を下ろしたのであった。

参照 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


相互リンク相互リンク募集お問い合わせ