日産:シルビア中古車情報!カタログ・在庫


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 日産:シルビアの概要♪


初代 CSP311型(1965年-1968年)
1964年の第11回東京モーターショーに「ダットサン クーペ1500」として出品された後、1965年4月発売。ダットサン・フェアレディ(SP310型)のシャーシにSUツインキャブ付R型1600cc OHVエンジンを載せ、クーペボディを架装して作られた。日本車初採用の4速フルシンクロのトランスミッション、ドイツ人デザイナー、アルブレヒト・フォン・ゲルツによるクリスプカットと呼ばれた美しいデザイン(実際には当時日産デザイン室に在籍した木村一男がゲルツの指導の下にデザインしたもの)、継ぎ目を極力減らしたボディパネルなど意欲作であったが、美しいルックスには不釣合いなタフな乗り心地や相対的な割高感に加え、兄貴分のスカイラインやオープン版のフェアレディの影に隠れて商業的には成功したとは言えなかった。そのため、1968年6月に554台のみで生産を終了、一旦は絶版となった。

この初代シルビアは、殿内製作所(現在の株式会社トノックス)にて製造された。

神奈川県警察では、高速道路交通警察隊のパトカーとして採用された。

社団法人自動車技術会の「日本の自動車技術180選」に選出されている。また、トヨタ博物館の3階にも展示されている。


2代目 S10型(1975年-1979年)
1975年10月発売。日本国内の車名は「ニューシルビア」で、バッジにも「New」の文字が見られる。コンセプトは初代とはうって変わり、北米市場向けの「セクレタリーカー」として開発された。

プラットフォームはB210型サニーをベースとしており、サスペンションはフロントがストラット式、リアがリーフリジッド式を採用している。ハードウエアの面でも初代との繋がりは全く無い。

開発当初はロータリーエンジンの搭載も検討されていたが、オイルショックの影響により見送られ、当時ブルーバードUに搭載されていた、1800ccの4気筒SOHCエンジンであるL18型(105ps)を搭載した。

直線的な美しいデザインを持つ初代とは対照的に北米受けを狙った2灯式ヘッドランプや、うねりの強い2代目のスタイルは日本の顧客には共感を得られず、国内販売は不振だった。

ちなみに、この世代の北米向けモデルで初めてSXの名が使われた。名称はDatsun 200SX。通称5マイルバンパーと呼ばれる大型のバンパーを前後に装着していた。

3代目 S110型(1979年-1983年)
1979年3月、発売。プラットフォームは310型サニーやA10型バイオレットと共通。
先代の輸出仕様車である初代200SXの手応えから、さらにアメニティーに振ったコンセプトとなり、日本初のドライブコンピューターをはじめ、ダッシュボード上の横一杯に並んだワーニングランプやフェードアウトする足元灯など、アメリカ車並みのムーディーな室内イルミネーションを採用。なお、米国仕様車の名称は200SXを継承している。

グレードは当初、1800ccのZ18型を搭載したLS(インジェクション仕様はLS-EX)、2000ccのZ20型を搭載したZS(インジェクション仕様はZS-EX)の2種が設定され、のちのマイナーチェンジでFJ20E型を搭載したRSが追加設定された。これはR30型スカイラインRS用に開発されたDOHCエンジンである。

サニー系のパワートレインのため、5速MTは5速がオーバードライブではなく、直結となっており、1速が左手前にくるシフトパターンであった。そのため、発進時のシフトミスを防ぐためリバースポジションでは警告ブザーが吹鳴するようになっていた。後に5速MTは6気筒車と共通の4速プラスオーバードライブ式に変更された。ボディタイプはクーペに加え、ハッチを持つ3ドアファストバックが追加された。なお3ドアファストバックには大型バンパーおよび日本初のフロントシングルアームワイパーが全てのグレードに標準で装備されていた。

1982年には、S110型シルビアをベースにWRCのグループB・ホモロゲーションモデルとして、2400ccのFJ24型エンジンを搭載し、角ばったオーバーフェンダーを追加、225/50R16タイヤを標準装備する日産・240RSが登場している。

また、このモデルと次のS12型には日産モーター店扱いとなる姉妹車のガゼールが設定された。なお、石原プロモーション製作の「西部警察」にて故・石原裕次郎が搭乗しているS110型のオープンカーは姉妹車のガゼールである。

1982年、生産拠点を九州工場へ移す。

この年の第30回サファリラリーでは、LZ20B型(215ps)を搭載したグループ4仕様車が総合3位を獲得した。

1983年、生産終了。


4代目 S12型(1983年-1988年)
1983年8月、発売。このモデルからリアサスペンションがセミトレーリングアームの独立式となる。また、リトラクタブル・ヘッドライトが採用された。機能面では、日本初のチルトアップ機構付き電動ガラスサンルーフが搭載された。ちなみに米国仕様車の名称は200SXを継承した。

ボディタイプは2ドア・クーペとハッチバックの二車種。エンジンはデビュー当初、1800ccのCA18型3種(キャブレター/EGI/EGIターボ)と2000ccの自然吸気エンジンであるFJ20E型(150ps)、ターボを搭載したFJ20ET型(190ps)が設定された。同じくFJ20ET型を搭載していたDR30型スカイラインでは、空冷インタークーラーを追加した205ps仕様が設定されたが、S12型には採用が見送られた(試作車両が十数台、生産され 一部が世に流出した)。

なお当初は新開発の「CA18」型エンジンをフロントミッドシップに搭載し、新型・軽量エンジンとハンドリングの良さを売りにしていたモデルだが、たまたまフルモデルチェンジと重なりS110型からFJ20エンジンを継続したため、当初のデザインのままではエンジンが収まりきらないため、ボンネットを切り抜きバルジで蓋がしてある(インタークーラー用のインテークダクトではない)。

1984年2月、1800ターボR-L FISCO追加。中級グレードのターボ・R-LにFJ20E/ET搭載車と同じタイヤ、アルミホイール等を装備したもの。

1986年2月、マイナーチェンジ。FJ20E/FJ20ET型エンジン搭載車が廃止され、全車CA型エンジン搭載車となった。トップグレードにはCA18DET型ツインカム・ターボエンジンが搭載された(これ以後、DOHCからTWINCAMという表記になる)。同時に兄弟車のガゼールが廃止。このため、日産モーター店では代替としてシルビアを扱うことになった(北米モデル:200SXにはVG30E型3000ccエンジンを積む大排気量車が追加)。

1988年に生産終了。


5代目 S13型(1988年-1993年)
1988年5月、発売。歴代シルビアの中で最も販売台数が多い。このモデルで当時大人気だったホンダ・プレリュードの牙城を崩し、若者を中心に爆発的に売れた。当時としては未来的なデザインでCMでも「アートフォース・シルビア(ART FORCE SILVIA)」と表現しており、グッドデザイン大賞を受賞した。足回りには新開発のリアマルチリンクサスペンションが採用された。CMソングは前期型にはプロコル・ハルムの「青い影」、後期型にはクライズラー&カンパニーの「動物の謝肉祭・水族館」が起用された。

日産はこのモデルをデートカーとして位置づけていたが、当時すでに少なくなっていたミドルクラスの後輪駆動車で、スポーツ走行にも適した設計であったため、アフターマーケットにおいてスポーツ走行用の様々な改造パーツが開発された。当時のデートカーとしての役割を終えた現在では、サーキットや峠などで走るための車として使用されることが比較的多い。これはS13型だけに限った話ではなく、その後のモデルであるS14型やS15型も同様である。

デビュー当初は1800ccエンジンのみで自然吸気エンジンのCA18DE型(135ps)とターボのCA18DET型(175ps)が搭載されていたが、1991年のマイナーチェンジで2000ccのSR20DE型(140ps)とSR20DET型(205ps)に変更された。グレードはJ's、Q's、K'sの3種で、トランプを意識した構成になっていた。 オプション装備では、プロジェクターヘッドランプ、四輪操舵装置のHICAS IIや、デジタルメーター、HUDであるフロントウインドウディスプレイなどが用意され、未来的なイメージを後押しした。

1988年7月、オーテックジャパン製の「コンバーチブル」を追加発売。K'sを改造したものであり、製造はオープン構造の車の生産を得意とする高田工業に委託されていた。

1988年10月、昭和63年度の通産省選定グッドデザイン大賞を受賞。

1988年12月、'88〜89年日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞。

1989年4月、姉妹車の180SX(RS13型)が発売。リトラクタブルライトを採用したS13型の北米輸出仕様車240SXハッチバックボディの日本仕様車であり、車名の「180」は排気量の1800ccにちなんでいる。エンジンはシルビアと異なり、ターボモデルのCA18DET型のみ設定していた。この180SXはS13型同様に人気が高く、S13シルビアの販売終了後もS14型と共に販売が続けられた。

1990年2月、「ダイヤセレクション」シリーズを追加発売。Q's、K'sをベースにそれまでの販売実績から人気の高いオプションを標準化しながら価格上昇を最小限に抑えたお買い得仕様。内容はオートエアコン、アルミホイール、CDプレーヤー(ソニー製)、アーム式シートベルトガイド、電動格納式ドアミラー、プロジェクターヘッドランプ、リアスポイラー、スーパーファインコーティング(フッ素樹脂塗装)、専用エンブレム(銀地にQ'sあるいはK'sと書かれ左右にトランプのダイヤのマークが入る)、アクセントモール。尚、ダイヤセレクション専用オプションとしてレザーバージョン(本革シート、ステアリング、シフトノブのセット)が設定される。同時にQ'sに従来設定の無かったビスカスLSDのオプションが設定される。

1991年1月、マイナーチェンジ。エンジンが1800ccのCA18DE/CA18DET型から2000ccのSR20DE型(140ps)とSR20DET型(205ps)に変更された。姉妹車の180SXも同時期にSRエンジンに変更されたが、名称は180SXのままであった。そのほか、4輪操舵のHICAS IIがSUPER HICAS に変更され、タイヤサイズが195/60-15から205/60-15にサイズアップされた。さらにトランクリッド後端のキーホールカバー形状を逆台形から楕円形に変更、リアスポイラーを飛行機の翼をモチーフにした新形状に変更、その内蔵ハイマウントストップランプには横一列配列のLEDを採用、サイドドアビームの追加、プロジェクターヘッドランプが4連からフォグランプも含めた6連に変更、アルミホイールの形状変更、トランク裏にトリム(内装)が追加されるなどの細かい点も変更が行われている。内装はシートの形状が変更され、リア3点式シートベルトが採用され、ワイパーの間欠時間調整が追加(Q's系、K's系)、ファッションキー(キーヘッドが丸で中に「SILVIA」のロゴが入る)の採用、前期型で多かった女性ユーザーからの要望により従来の助手席側に加え運転席側にもバニティミラーを追加(Q's、K's系)。ダイヤセレクションは廃止されたが、ダイヤセレクションの内容からCDデッキと専用エンブレムを省いた仕様のメーカーオプション「ダイヤパッケージ」が設定された。また、内装のオプションとして「レザーセレクション」(本革シート、ステアリング、シフトノブ専用内装地。スーパーハイキャスとセットオプション)とアートテリアセレクション(大理石模様のスウェード調生地のシート、内装地)を追加している。マイナーチェンジ前の型式がS13型、マイナーチェンジ後はPS13型となっているが、通称としてどちらも「S13」と呼ばれることが多い。

1992年1月、「クラブセレクション」と「Q'sSC」追加発売。クラブセレクションは先のダイヤセレクションと同等の仕様。相違点はCDデッキがソニー製からクラリオン製に変更、アルミホイールが標準車と違いシルバーポリッシュ(光輝仕様)タイプとなる、専用の銀地の楕円型グレードエンブレムの文字色が濃赤になり、左上にトランプのクラブのマークと下に「club」のロゴが入る点。「Q'sSC」はQ'sにオートエアコンとシルバーポリッシュのアルミホイールを装備しながら価格上昇を抑えた質実剛健型グレード。尚、SCとは「スペシャルカード」の意である。

同時に一部仕様変更が行われ、シートベルト警報&警告灯の装備。これはエンジン始動時にメーター内の警告灯が点滅し、同時に運転席ベルト未装着の場合は警報がいずれも8秒間作動する仕組みになっていた。これに伴いメーターの変更が行われ、オートエアコンのデジタル化も行われた。

1992年5月、「Q's2」(Q'sスクエア)限定発売。同時期の日産主力車種と同様、オール日産4000万台達成を記念した期間限定車。ベースはQ'sSCでランバーサポート付きの運転席や専用ヨーロピアンインテリア、リアスポイラーなどを追加装備したもの。ボディカラーは1月に追加されたパールホワイトと既存のスーパレッド、スーパーブラックの3色。

1992年12月、「オールマイティ」追加発売。モデル末期に入り、廉価なお買い得版による販売力強化を図った仕様。ベースはJ'sでマニュアルエアコン、アルミホイール、パワーウインドー、カセットデッキ付きチューナー&4スピーカー、電動格納式カラードドアミラー等J'sには標準では未装備の快適装備を追加した仕様、またこのモデルのみベロア調ニットを使った専用シート地(縫い目の位置が見える位置に変更されコスト削減のテスト的意味合いが強い)が装備される。尚、この内装は180SXの中期型の黒ヘッド仕様にも用いられる。専用エンブレムも装備されるが、楕円ではなく長方形で銀地に黒で「A」マークとトランプのスペードのマークが入った仕様となる。

これに伴いベースとなったJ'sと年頭に追加されたQ'sSCが廃止される。

モデル末期には、そのころ発足したばかりの全日本GT選手権のGT2クラス(後のGT300クラス)に参戦し、クラスチャンピオンを獲得している。

1993年、生産終了。


6代目 S14型(1993年-1998年)
1993年10月、発売。ボディサイズを大きくして3ナンバーボディとなった事や、この年の前後に発売された一連の日産車(C34型ローレル、W30型ラルゴ、R33型スカイライン、B14型サニーなど)に共通して外観デザインが不評であった事、4ドアスペシャリティー車の台頭により人気が低下し、販売面で苦戦したモデルである。

販売テコ入れのため、1996年にビッグマイナーチェンジを敢行。主にフロント周りのデザインを一新したが、前期型と同様S13型と比べて肥大化し、不評だったボディサイズはいかんともしがたく、大幅な人気回復には至らなかった。

現在では珍しくなったターボエンジンを搭載したマニュアルミッション設定のあるFRクーペモデルであること、登場から10年以上経過していることにより中古車価格も下がっていることなどの理由から、一部のチューニングカー愛好者層には人気があり未だに支持されている。

エンジンは自然吸気、ターボ共に改良され、SR20DE型は160ps、SR20DET型は220psにパワーアップした。先代のノンターボはレギュラーガソリン仕様だったが、ハイオク仕様に変更された。

愛好者からは前期型を「たれ目」、後期型を「吊り目」と区別されている。シャープな印象の後期型の人気が総じて高いが、前期型の柔和なスタイルを好むものもいる。中古車価格は後期型が年式の割りにかなり高値をつけられている。

デビュー当時のキャッチコピーは「アイ・ハント・シルビア(eye hunt SILVIA)」。CMソングはティアーズ・フォー・フィアーズの「シーズ・オブ・ラヴ」が起用された。

マイナーチェンジ後のキャッチコピーは「Ready Go FR」。CMには宝生舞が出演している。CMソングはザ・ハイロウズの「相談天国」と「Happy Go lucky」が起用された。

1994年2月、「Q'sエアロスポーツ」限定発売。Q'sの5速MT車にエアロフォルムバンパー、スポーツグリル、ナバーン製リアスポイラー、ビスカスLSD、16インチアルミホイール、スポーツチューンドサスペンション等を装備したものでボディカラーはスーパーブラックのみの設定で1500台限定。

1995年5月、一部改良、「エアロ」シリーズと「Q'sクラブセレクションを」追加発売。一部改良により運転席エアバッグを全車標準化した他、グリルを変更し、従来フロントグリルとリアフェンダー上のグレードエンブレム下にあった「Silvia」エンブレムが廃止され、トランク上にあったエンブレムの位置もセンターから左端に移動された。Q's、K'sにはエアロフォルムバンパーやナバーン製リアスポイラー、アルミホイール、ホワイトメーター、革巻きステアリング&シフトノブ等を装備したエアロシリーズが追加される。またQ'sをベースにエアロフォルムバンパーや15インチホイール(鉄製)を装備したQ'sクラブセレクションを追加。

1996年6月、後期型へマイナーチェンジ。曲線の多かった前期型からヘッドライトを角ばった、いわゆる「ツリ目」の形状にするなど、主にフロント周りのデザインを一新し、全体的にシャープなデザインの外観に変更した。

1997年10月、「オーテックバージョン K's MF-T」が追加。オーテックジャパンによって各部をファインチューニングされており、特にエンジンはチューニングされたSR20DET型に石川島播磨重工業製の専用ターボチャージャーを組み合わせ、藤壺技研工業製の専用エキゾーストシステムと相まって、最高出力250ps/6,400rpm、最大トルク28.0kgm/4,800rpmを発生した。外観上の特徴は、大型リアスポイラー、専用フロントバンパー、アローエンタープライズ製の16インチアルミホイール。205/50R16・90VのブリヂストンポテンザRE710Kaiを履き、専用スポーツサスペンションを装着していた。内装はホワイトメーター、 電圧・油圧・ブーストの3連ホワイトメーター、MOMO社製SRSエアバック付きスポーツステアリング、本革巻シフトノブ、専用シート地、専用ドアトリムクロスが装着されていた。

1998年 生産終了。


7代目 S15型(1999年-2002年)
1999年1月、発売。キャッチコピーは「ドライブしよう」(spec.S、spec.R)、「Open Your World」(ヴァリエッタ)。CMソングはシェリル・クロウの「エヴリデイ・イズ・ア・ワインディング・ロード」。

最大のトピックはS14型系で拡大し不評だったボディサイズを再び5ナンバー枠に戻したことである。また、グレードはS14型系までの「J's、Q's、K's」から、「spec.S、spec.R」とした。

エンジンはさらに改良され、spec.SのMT車用SR20DE型が165ps、spec.RのSR20DET型は250psとなった(AT車では、それぞれ160ps、225ps)。

また、ターボモデルであるスペックRにはトヨタ系列部品会社のアイシン・エーアイが製造した6速MTが装備され(このアイシン・エーアイ製トランスミッションはシフトフィールに優れず、容量的にも余裕がなく、チューニングによりエンジンパワーを上げるとトラブルが多発した)、更にターボチャージャーにはS14型系から引き続きボールベアリングタービンが採用され、レスポンスアップを図りつつ、低速回転からもストレスなく回る仕上がりになっている(ただし、生産終了間際のモデルにおいてはボールベアリングではなくフローティングメタルが採用されている)。

スタイル上の最大の特徴はサイド面のプレスラインがリアフェンダー、リアトランクにかけて徐々に絞り込まれる「深絞りプレス成型」を採用したリアフェンダーである。ヘッドライトはボンネットに回り込んだ「釣り目」デザイン、テールランプもトランクに回り込んだ大型のものが採用された。 メーカー純正では珍しい右Aピラー部マウントのブースト計・油圧計や運転席中央部にポップアップ式5.8インチ液晶モニターをオプションで採用する。 また、エアロ系グレードには「インテリアパッケージ」と言うオプションが選択可能で選択するとフロントシートとドアトリムが専用のオレンジのスェード調クロス地となる。(リアシートは他グレードと同じ) S15系はスタイル、ボディサイズ、走行性能などにおいて好評で、S14型系が比較的不評だったのに対し一定の人気を回復したが、販売期間の短さ、スポーティカーの折からの不振もあり数量的にはビジネスを成功させるには至らなかった。

販売は日産レッドステージで行われた。また、S15型系登場に合わせて、S14型系の販売不振により想定外の長寿モデルとなった180SXが生産終了、モデル廃止された。

1999年10月、グレード追加によりスペックR/Sに「bパッケージ」が登場。豪華さとファッション性に重きを置いたグレードで、内容は内装ではフロントシート/ドアトリムが専用のブルーのスェード調クロス地になる(リアシートは他グレードと同じ)、ステアリングのステッチが他グレードと異なり専用のブルーステッチになる、本革巻シフトノブ採用(スペックS・bパッケージMT車のみ、スペックR系はもとより標準のため)、キーレスエントリーの標準化(通常グレードにオプションで付けた場合と異なりアンサーバックがハザードで行われる)、スペックS・bパッケージ専用装備としてスペックR系車両と同一のチタン調のメーターパネルが付く。外装ではフォグランプが標準化され、スペックR・bパッケージ専用装備としてクローム調の専用アルミホイールが装備される。また、bパッケージ専用外装色として「ライトブルーイッシュシルバー」が追加される。(2000年一部改良時にエアロ系グレードを除きライトブルーイッシュシルバーが選択可能となる) 同時にオーテックジャパンが開発を手がけた「オーテックバージョン」を追加。spec.Sをベースとして各部にファインチューニングを行い、自然吸気エンジンのNVCS付きSR20DE型専用エンジンは、圧縮比アップによる燃焼効率の向上や背圧低減による高回転域の排気効率向上、狙いのトルク特性を引き出すためバルブタイミング、リフト量のチューニング等、内部を見直す一方、藤壺技研工業製の専用エキゾーストマニホールドを採用し、最高出力200ps、最大トルク21.8kgmを発生した。ボディ補強、前後ブレーキ、6速MT、リヤヘリカルLSDなどはspec.Rと共通である。外観上はボディサイドエンブレム程度の相違しかなく、内装も専用シルバーメーター、赤ステッチ入りの専用フロントシート・ドアトリム生地など、大変控えめなものであった。

2000年5月、国産初のフルオープンタイプ電動メタルルーフのオープンカー(クーペカブリオレ)の「ヴァリエッタ」を発表。同年7月に発売開始した。1999年の第33回東京モーターショーに出品された、オーテックジャパンと高田工業の共同開発車である。搭載エンジンはSR20DE型のみで、詳細はspec.Sに順ずる。フロントシートに帝人および田中貴金属工業と共同開発した、モルフォチョウの鱗粉の発色原理を応用する繊維「モルフォテックス」を織り込んだ布地「モルフォトーンクロス」(帝人および川島織物の共同開発)を採用した。

2000年10月 オーテックジャパンにより内外装に手を加えた「style-A」を追加。ちなみに、2000年には光岡自動車がS15型をベースに、2代目ラ・セードを発表している。

2002年1月24日に最終特別限定車「Vパッケージ」を発売開始。専用フロントシート・ドアトリム生地、MD・CD一体型電子チューナーラジオ、プライバシーガラス、キセノンヘッドランプなどを標準装備しつつ、価格を従来車から据え置いた。尚、この追加によりVパッケージのベースとなったスペックS・Gパッケージ、スペックR及びスペックR/S・bパッケージ、スペックR・Type-Bが廃止されグレードが整理される。

2002年8月、折からのスポーツカーの販売不振や平成12年排ガス規制の影響を受け、R34スカイラインGT-Rと共に生産終了となった。

参照 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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