日産:プリメーラ中古車情報!カタログ・在庫


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 日産:プリメーラの概要♪


初代 P10型(1990年-1995年)
1989年10月
第28回東京モーターショーにコンセプトカー「PRIMERA-X」を出品。なお、この車両はフランクフルトショーにおいては「UV-X」として出品。
1990年2月
ブルーバードとサニーのコンポーネンツの組合せを基本とするT12型スタンザならびにオースターの後継車として登場し、日欧両市場に投入された。
ボディタイプは日本国内では4ドアセダンのみ、欧州や台湾市場には5ドアハッチバックも存在し、一部は日本にも輸入されている (2.0eGT/2.0SLX) 。また、アベニールはプリメーラワゴンの名で欧州市場に投入されていた。日本仕様車は1800cc/2000ccのSR型エンジンに5速MTと4速ATの組み合わせだった。
ほぼ同時期に発表された日本国内専売車のプレセアとは対照的に、スタイリング、動的性能両面で欧州車を強く意識して開発された。901運動から生まれたフロント・マルチリンク式サスペンションによるハンドリングの評価は特に高く、発表当時には「欧州車を超えた」とすら評された。また、「プリメーラパッケージ」と称したその居住性は、コンパクトな車体ながら室内は当時のクラス最大級の広さを誇るものであり、スタイリングも居住性と空力性能をバランスよく両立させ且つ機能的で洗練されたもので、低全高で居住性に劣るハードトップ車が主流であった1990年代当時の日本市場では異色の存在であった。
日本市場ではバブル崩壊に伴うユーザーのベーシック志向への回帰と相まって、モデル末期まで堅調な販売実績を誇った。一方で、当時の日本のミドルクラスのファミリーセダンとしては足回りが固く、乗り心地には若干の難があった(ただし、1992年9月のマイナーチェンジ以降からダンパー、ブッシュ等のセッティングを見直しある程度乗り心地を改善させている)が、欧州車の足回りに近いと好意的に解釈されることも多かった。また、欧州車と対等に渡り合える初の日本車として、欧州車から乗り換えるユーザーも見られた。欧州市場でも、欧州カー・オブ・ザ・イヤーで日本車初の2位を獲得するなど、その評価は日本車としては異例なほど高かった。北米市場にもインフィニティチャンネルからインフィニティ・G20として投入された。
1990年7月
北米でインフィニティ・G20を発表。
1990年秋
英国サンダーランド工場で現地生産開始。
1990年10月
SR20DE型エンジン搭載モデルに4WD車を追加。
1991年5月
ヨーロッパ各賞受賞記念車として「Te-r」を7月までの期間限定で発売。
1991年10月
英国生産の5ドアハッチバックが日本へ輸入開始。同時に4ドアセダンを一部改良し、安全装備として前後サイドドアビームの追加やハイマウントストップランプの標準化などを行った。
1992年9月
4ドアセダンがマイナーチェンジ。1800ccエンジンがEGI化され、SR18Di型からSR18DE型に変更(これにより、馬力は110PS→125PS、燃費は13.2km/L→13.6km/Lと若干向上)。 2000cc車に電子制御ATを採用。2000ccの一部グレードにフルフレックスショックアブソーバーの採用。フロントターンシグナルランプのアンバー色化、ライセンスプレート取付面の黒色化など外装に若干の変更を受ける。内装はブラウンとブルーが廃止され、オフブラックに統一される。助手席パワーウインドウスイッチをドアにも設置。従来は4WD車のみに設定されていたトランクスルー、リアアームレスト、リアヘッドレストを2WDの一部グレードに拡大採用。Tm、CiグレードにLセレクション仕様車の追加。運転席エアバッグをOP設定など。
1993年1月
日産自動車60周年記念限定車として「Ci-S」を発売。
1993年5月
エアコンを新冷媒に変更。可変コンプレッサーの廃止。60周年記念限定車として、「Ci-S2」、「Tm-F」を発売。
1993年8月
一部改良。サイドシル部分のブラックアウト塗装の廃止など。
1993年11月
60周年記念限定車として、「Ci-S3」、「Tm-F2」を発売。
1994年1月
「Ciクルーズ」、「Tmクルーズ」を発売。
1994年2月
5ドアハッチバックがマイナーチェンジ。エアコンを新冷媒に変更。一部装備の簡略化。ハイマウントストップランプ、電子制御AT、EGIを採用。助手席パワーウインドウスイッチをドアにも設置。運転席エアバッグをOP設定など。
1994年9月
4ドアセダンがマイナーチェンジ。全車、ホイールを14インチ化。運転席エアバッグを標準装備。助手席エアバッグをOP設定。内外装を一部コストダウン。灰皿照明、グローブボックス照明、パワーウインドウ照明を廃止。オーテックバージョンと同仕様のスポーツスポイラーをTeにOP設定。Tm-Sセレクション、Ciクルーズ仕様車の追加。5ドアハッチバックの運転席エアバッグOP設定を廃止など。
1994年11月
オーテックジャパンより「オーテックバージョン」発売。
1995年1月
5ドアハッチバックがマイナーチェンジ。灰皿照明、グローブボックス照明、フロントパワーウインドウ照明を廃止。運転席エアバッグを標準装備。eGTの助手席にシートバックポケットを装備。5ドアハッチバック2.0SLX、4ドアセダン1.8SVを追加。
1995年6月
円高差益還元で5ドアハッチバックの価格を10万円値下げ。

2代目 P11型(1995年-2001年)
1995年9月
初のフルモデルチェンジを受け、P11型に移行。初代の基本はT12型スタンザ/オースターを受け継ぐ形で同時期のU12型ブルーバードとB13型サニーの技術を組み合わせたものとなっていたが、2代目ではU14型ブルーバードと基本コンポーネンツを完全に共用するものとなった。
ボディタイプは日本のデビュー当初4ドアセダンのみ。グリル等を変更したサニー店向け姉妹車「プリメーラカミノ」も同時に登場、欧州では5ドアハッチバックもラインアップされ、一部が日本にも輸入された(プリメーラUK 2.0GT)。また、1997年にはワゴンモデルも追加された。プリメーラカミノは日本人向け趣向を強めたエレガントで高級感のあるフロントフェイスとなっている。
初代の成功を踏まえ、基本的にはキープコンセプトでのモデルチェンジとなった2代目であったが、日本国内でセダン離れ(特に1800cc - 2000ccのミドルクラス・ファミリーセダン)の兆候が見え始めたことやライバル車種が増えたこと、日産自身の経営危機によるコストダウンでの品質低下などの要因から、初代ほどの成功を収めるには至らなかった。
初代に引き続き、欧州へは「プリメーラ」として英国サンダーランド工場生産車が供給された。また、北米市場へは「インフィニティ・G20」としてプリメーラカミノフェイスのモデルが投入された。
2代目は、新開発の車軸懸架・マルチリンクビーム式リアサスペンションを採用し、初代のウィークポイントであった乗り心地が大幅に改善された。日本仕様車の場合、エンジンやトランスミッションは初代からのキャリーオーバーであるが、エンジンは1800cc、2000cc共に若干リファインされて搭載されている。特にSR20DEは吸気系に「トルクアップレゾネーター」を採用したことにより、低 - 中回転域のトルクが向上した(後のHyper CVT車には不採用)。
安全性能をはじめ各部で大幅な改良が行われた一方で、2WD車のリアサスペンションは車軸懸架・マルチリンクビーム式であったが、4WD車のリアサスペンションは初代の独立懸架・パラレルリンク式ストラットサスペンションが継続採用された。マルチリンクビーム式ではドライブシャフトが通せないためであり、この結果、スペース効率に優れるマルチリンクビーム式を採用しながら、フロア構造が2WD/4WD共通となったため、その利点を完全に生かし切ることはできなかった。
1996年2月
特別仕様車「エアロセレクション」を発売。2.0Te/2.0Tm Sセレクション以外にディーラーオプションのアルティア製エアロフォルムバンパー等装着車を設定。
1996年8月
デュアルエアバッグとABSが全車標準装備となる。1.8Ci Sセレクション追加。ABS標準装備に伴い、1800cc車のリヤディスクブレーキ廃止(従来1800cc車はABSとセットオプションでディスクブレーキが選択できた)。
1997年1月
特別仕様車「ナビセレクション」を発売。2.0Tm/1.8Ciにディーラーオプションのバードビューナビゲーションシステム及び収納型5インチ液晶ディスプレイ等装着車を設定した。同時に1996年2月設定車と同内容の「エアロセレクション」を発売。2.0Te/2.0Tm Sセレクション/1.8Ci Sセレクション以外に設定。
1997年2月
英国生産の5ドアハッチバック(プリメーラUK)を日本で発売。
1997年9月
マイナーチェンジ。中期・II型に。ワゴン登場と同時に、4灯ヘッドランプ(C.S.Rハロゲン)等を採用したフェイスリフト。可変バルブタイミング&リフト機構を備えた190PSを発揮する「NEO VVL」採用のSR20VE型エンジンとHyper CVTを組み合わせたスポーツモデル「セダン2.0Te-V」「ワゴン2.0G-V」がラインナップに加わり、「セダン2.0Te」廃止。5ドアUKを除くSR20DE 2WD車にマニュアルモードM6機構を省略したHyper CVTを採用、従来の油圧式4速ロックアップ付オートマチックが廃止される。ワゴンは全車4輪ディスクブレーキを採用。
1998年1月
オーテックバージョン「ワゴン・エアロスポーツ」を発売。2.0G-V/2.0G-4に専用エアロフォルムバンパー等装着車を設定。
1998年9月1日
マイナーチェンジ。後期・III型に。リヤコンビネーションランプの変更の他、キセノンヘッドランプ採用等のフェイスリフト。Hyper CVTとの組み合わせとなるQG18DD型直噴エンジン (NEO Di) 搭載車を設定するとともに、SR18DEがQG18DEリーンバーン (NEO) に差し替えられる。SR20DE 2WD車のHyper CVTがNEO VVL車と同じマニュアルモードM6機構付に、また、QG18DE車のATが新開発の電子制御フルレンジE-ATxとなる。セダン2.0Tm、5ドアUKは廃止となるが、オーテックバージョン「ワゴン・エアロスポーツ」はマイナーチェンジに対応して継続される。同月、南アフリカ日産自動車会社にてノックダウン生産を開始し、10月より南アフリカで販売開始。部品供給は英国から受けていた。
1999年4月
日産販売店の再編により、プリメーラを扱うプリンス店、プリメーラカミノを扱うサニー店の取扱車種が共通化されたため、プリメーラカミノはモデル廃止され、プリメーラに一本化された。ワゴンに2.0G-S追加。
1999年12月8日
ワゴンに「ツーリングスター」を追加。2.0G-V/2.0G-S/2.0G-4にニュースウェード&カブロンのコンビシート等を装着。また、同グレードのみ、キー一体型ではなく、アクセサリー式別体型リモートエントリーを採用し、メインキーをオーナメント入りのものとした。
2000年1月24日
3月末までの期間限定で特別仕様車、ワゴン「NAVIエディション」を発売。1.8G AT車にメーカーオプションのマルチAVシステムとプライバシーガラス装着車を設定した。
2000年6月6日
特別仕様車、セダン「NAVIエディション」を発売。1.8Ci LセレクションにメーカーオプションのマルチAVシステム等装着車を設定した。同時に、ワゴン「NAVIエディションII」を発売。NEO Diを除く1.8GにメーカーオプションのマルチAVシステム、プライバシーガラス等装着車を設定した。

欧州仕様モデル(英国日産自動車製造会社サンダーランド工場製)は日本向けがP12系に切り替わった2001年まで、2000年にフェイスリフトを受けたP11-144型を生産・販売していた。


3代目 P12型(2001年-2008年)
2001年1月30日
フルモデルチェンジ、3ナンバーの専用ボディとなる。初代、2代目に引き続き日欧をメイン市場として開発された。ボディタイプは4ドアセダンとワゴン、5ドアハッチバック(欧州のみ)と変化はない。ただし、3代目では英国製ハッチバックモデルの日本への輸入は行われていない。また、初代・2代目はインフィニティ・G20として北米市場で販売されていたが、後継車のG35セダン(日本名: スカイライン)が発売されたのに伴い、北米市場からは撤退することとなった。
新車発表は東京都現代美術館で行われ、4WDモデルはワゴンのみ先行発売。オーテックジャパンから運転補助装置を持つモデル「アンシャンテ」も同時発売された。目標月販台数はセダン2,000台、ワゴン3,000台。
デビュー直後の日本仕様車では、2500cc直噴と2000ccのQR型エンジンにそれぞれHyper CVTと4速ATが組み合わされていた。欧州仕様車には2200ccのYD22DDTi型、1800ccのルノー製F9Q型のターボディーゼルエンジンが搭載されているほか、廉価機種には1600ccガソリンエンジンも存在する。
3代目を最も特徴付けるのはその先進的なデザインである。セダンは日産デザインヨーロッパ デザインスタジオの手によるもので、前進させたキャビンと極めて短いトランクをアーチ型のラインで結んだモノフォルムに近い造形が特徴である。5ドアハッチバックでは更にモノフォルム感が強調されている。特にセダンのスタイリングに対する専門家筋の評価は高く、経済産業省グッドデザイン賞「金賞」やドイツ・レッドドットデザイン賞など、数々のデザイン賞を獲得している。しかし、先進的なスタイルの代償として、前後見切りは悪い。
その一方、プリメーラのアイデンティティの一つとも言える動的性能面では特筆すべきトピックは少ない。前期モデルでは可変バルブタイミング機構「NEO VVL」付きのSR20VE型エンジン+6速MT搭載のスポーツモデルの20Vも追加発売されたが、マイナーチェンジを機に消滅した。この20Vは堺自動車教習所と富田林モータースクール(共に日産プリンス系)で、珍しくスポーツセダンベースの教習車として使われている。
また、ボディの大型化(いわゆる3ナンバー化)やセンターメーターの採用も、初代・2代目で培ってきたスポーツセダン/ワゴンとしてのプリメーラのイメージや性格を大幅に薄めてしまう結果となり、日本市場では既存のユーザーの支持を集めることができなかった。折からのセダン・ワゴン離れの傾向と同じ3ナンバーV6エンジンのティアナ登場も追い討ちをかけ、4気筒エンジンを搭載する性格が中途半端な3代目プリメーラは日本市場では商業的に失敗に終わった。
2001年8月28日
セダン、ワゴンに可変バルブタイミング機構「NEO VVL」付SR20VE型エンジン+6速MTを搭載したモデル、「20V」、「W20V」をそれぞれ追加。同日、セダンの4WD車を発売。
2001年9月5日
TV/ナビゲーションシステムを装備した新グレード、「20リミテッド」、「W20リミテッド」、「W20リミテッド 4」を発売。
2001年10月
セダンモデルが経済産業省グッドデザイン賞「金賞」を受賞。
2001年12月
ボディカラーの「ルミナスレッド(ワゴン)」「シリカブレス(セダン)」が2002年度オートカラーアウォードの審査委員特別賞と技術部門賞をそれぞれ受賞。
2001年12月19日
オーテックジャパンによってワゴン「ライダー」が追加される。
2002年2月6日
セダンにQG18DE型エンジンを搭載する廉価モデル「18C」を追加。
2002年3月
英国での生産を開始。
2002年5月27日
セダン/ワゴンを一部改良。カーウイングス対応TV/ナビゲーションシステム(DVD方式)を設定。さらに、QR20DE型エンジン搭載車のグレード体系を見直し、一部グレードの仕様装備の向上を図った。同日、「20G」、「W20G」をベースに、TV/ナビゲーションシステムを標準装備した「NAVIエディション」および、メッシュタイプグリル、16インチアルミロードホイール、本革巻きステアリングなどを装備した「Vエディション」を追加。
2002年7月2日
ドイツ・レッドドットデザイン賞を受賞。
2003年7月8日
セダン/ワゴンをマイナーチェンジ。フロントグリル、バンパーなどの意匠を変更し、内装についても、クロムメッキ、木目調フィニッシャーの採用、新内装色、本革シートなどを設定し、前席アクティブヘッドレストの全車標準装備化を行った。フロント/リヤサスペンションのショックアブソーバー減衰力の最適化、リヤスプリングのばね定数の見直し、ステアリングの油圧特性変更、フリクション低減を行った。同時にスポーツモデルの「20V」、「W20V」が消滅。
2005年12月
日本国内での販売を終了しラインアップから消滅。なお、欧州では引き続き、英国日産サンダーランド工場にて生産・販売を継続した。同月、ブルーバードシルフィがモデルチェンジし、従来より1クラス上のミドルクラスセダンに格上げされたことにより、プリメーラの日本国内での生産・販売が中止されることとなった。
2007年
ドイツでの販売を終了。翌2008年には生産・販売を完全に終了した。
参照 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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