三菱:ギャラン中古車情報!カタログ・在庫
|
中古車在庫情報・カタログ情報や最新ニュース、オーナーの口コミなど♪ 三菱:ギャランの概要♪初代(1969年-1973年) ![]()
2代目(1973年-1976年) ![]()
エンジンは16Lから引き継いだ1600ccサターン(4G32)と、17Lを排気量アップした1850ccおよび2000ccのアストロン2種(前者が4G51、後者が4G52)を搭載。1600には通常のガソリンエンジンの他、EMAOと称するサーマルリアクター付排気ガス対策仕様のCA-II(排気ガス規制自体には適合していなかった)、タクシー用LPG仕様の3種に細分化される。1850と2000にはシングルキャブとツインキャブがそれぞれ用意され、合計7種のエンジンラインナップがあった。 デザインは先代のイメージを引き継ぎつつも曲面を多用したものになり、ボディサイズも大幅に拡大。ホイールベースは先代と同じ数値(2,420mm)ながら同年2月に発売されたランサーとの住み分けから、居住性を重視した内容になっていた。足回りのセッティングもソフトにされた結果、先代にあった走りのイメージは大幅に薄れてしまった。ただし、当時流行した“インボルブメント・デザイン”は採用せず、セダン・ハードトップ共に後方視界が良かった。また、伝統のチルトステアリングのほかにランバーサポートを初採用し、適切なシートポジションが取れることをカタログや広告などで謳っていた。 しかし、デビュー当初からあまり話題に上らなかったため、売上は芳しいものではなかったが、発売直後に起こったオイルショックにより、ニューギャランの販売台数は壊滅的な打撃を受けた。
3代目(1976年-1980年) ![]()
なお、歴代のギャランシリーズで最も販売台数が多かったのはこの3代目である。 4代目(1980年-1984年) ![]()
当時のエンジンとしてはかなり強力なトルクを発生した2000ccガソリン車とディーゼルエンジン車のMTには、クラッチの繋がりをよりマイルドにする目的で、フルードカップリングが採用された。この為、シフトパターンは通常の5速パターンにATと同じPポジションが追加された特殊なものとなっている。 また電子技術の発展による装備品のクオリティもこのクラスでは考えられないものがありVELNAS(ベルナス)と呼ばれるドライブコンピュータ(ストップウォッチ・平均速度・燃費・燃料消費量が表示できた)・後席パワーリクライニングシート・リヤにボックス型スピーカを備えたカーコンポ・さらに最上級グレードの2000ロイヤルには本革シート装着車もあった。 タクシー仕様も設定され、エンジンは1800LPG(G62B)と2300ディーゼルの2種類。1984年まで生産。 ライトバン(車体は先代をキャリーオーバーし、フロント周辺のみ2代目と共通にしたもの)も設定され、1600ccにLとGL・2000ccスーパーエステートの3種類が設定。1985年2月に新型ミラージュ/ランサーバンに合流した。
5代目(1983年-1990年、タクシー用は1984年-1999年) ![]()
6代目(1987年-1992年) ![]() 1987年登場。「E30系」は?のサブネームが取れ、2代目以来久々に単なる「ギャラン」の車名に(5代目?を1990年まで併売)。スリーダイヤのエンブレムが復活した(トランクリッドにはMMCのエンブレムも残っている)。G(グレ)、V(ヴィエント)、M(ミュウ)、4WD-V、と命名された4つのシリーズで構成されている。(『GALANT 商品技術説明資料』三菱自工、 1987年、7頁から引用) トップグレードであるVR-4は、当時のハイテク装備(4VALVE、4WD、4WS、4IS、4ABS)を「ACTIVE FOUR」と呼称して装備し、「ランエボ」ことランサーエボリューションに継承された、4G63ターボエンジン(インタークーラ付)を搭載したスポーツセダン。初期205ps→中期220ps→後期240psとマイナーチェンジ毎にパワーアップし、当時(1980年代後半から90年代初頭)の国産車で屈指のパワー・高性能を誇った。マイナーチェンジ時に追加されたAT車は、小径T/Cをはじめとした異なるチューニングとなっており、最高出力は210psに抑えられている。世界ラリー選手権 (WRC) でも活躍し、ランサーエボリューション登場まで三菱のラリーウエポンかつ看板車種であった。 VR-4以外のラインアップには、2000DOHC16バルブ(4G63・140PS)・1800SOHC(4G37・ECI仕様94PS/エレクトロ キャブレタ仕様85PS)・1600SOHC(4G32・79PS)などがある。カープラザ店で販売される姉妹車のエテルナは5ドアハッチバックとなった。ちなみに、日本で売られていた5ドアのエテルナは、輸出市場ではギャランとして販売されていた。後に、日本では5ドアであることによって販売が不振になり、わずか1年で普通の3ボックスセダン「エテルナSAVA」に主役の座を明け渡すことになった。 マイナーチェンジ時に追加された「AMG」には、4G63NAエンジンをベースに、高速型中空カムシャフト、冷鍛製チタン合金リテーナ、ステム細軸化、ポート径拡大、ピストン変更、触媒排気抵抗低減、プレミアムガソリン仕様化などのチューニングを施し、さらに排気系の改良などが施された。このAMG専用エンジンは、NAという事もあってスペック上はVR-4に搭載されたT/C インタークーラ付仕様に及ばないものの、そのフィーリングは高く評価されている。また、このエンジンの各種パーツは、フォーミュラ・ミラージュにおいても使用された。また「VX-S」にはシリーズ唯一となる電子制御サスペンションを採用していた。 開発途中まで、先代ギャラン?の延長線上にあるエクステリアデザインであったが、社内コンペで「新鮮さに欠ける」との意見があがり、それまでインテリアを担当していた当時31歳の若手デザイナーが、急遽2ヶ月で仕上げて提案したモデルが採用された。非常にマッシブなスタイルであり、40代〜50代からは拒否反応が強く、半面でそれ以下の世代からは強い支持があったための採用と言われている。スタイリッシュな4ドアハードトップ全盛の中での高い全高、巨大なメーターをはじめとして内外装ともにアクの強く特徴的なデザインである半面、ダイヤル式空調やバー式ドアハンドル等、国産車においていち早い採用となったものも多い。 この6代目ギャラン発表に際し、スタイリングを中心とした開発過程を纏めて書籍として発売しており、当時の三菱自動車の強い意気込みが伺える。 メインセクションのS字断面スタイリング(三菱自工の定義ではオーガニックフォルム)は、その後の一部のアメリカ車などにも影響を与えた。ただし、この処理はギャラン以前に既にジョルジェット・ジウジアーロが1980年のショーモデル、「メドゥーサ」で用いている。 このギャランのデザインやメカニズムを基本とし、それ以降に発売されたミラージュやランサー、ミニカといった三菱車がフルモデルチェンジしていった点は、特筆すべき点である。 E39A型ギャランVR-4は1988年にグッドデザイン賞を受賞している。
7代目(1992年-1996年) ![]()
VR-4は6A12ツインターボのV6 2LエンジンでMT車240ps、AT車215psとなった。
姉妹車としてカープラザ店向けにエテルナ、ハードトップのエメロードが設定されていた。また海外では、クライスラーブランドのシーラスやセブリング(初代)、ダッジブランドのストラタスやアベンジャー(初代)とのプラットフォームが共有されていた。6代目とは異なり、ギャランとエテルナでスタイリング面で完全に独立したモデルとされた。しかし、前モデルのマッシブなスタイリングが女性に不評だったとのマーケティングの結果と、空力追求のためのキャビン縮小から、没個性的で中庸なデザインとなり、また、無意味に肥大化した車体などもあって商業的には失敗に終わる。それまで設定されていた教習車仕様も3ナンバーサイズに拡大されたことで1クラス下のランサーに輸出仕様の大型バンパーを装着して全長を伸ばしギャラン/ギャラン?の代替をおこなった。 8代目(1996年-2005年) ![]()
他に、ステーションワゴン版となるレグナム、カープラザ店向けの姉妹車アスパイア(エテルナ→カリスマの後継車)が存在したが、レグナムは2002年8月に、アスパイアは2003年3月に廃止された。 同車には警察の捜査車両向けにスチールホイールや黒色ドアノブ&ミラーなど装備の質を落としたVE(受注生産)も存在する。当初は警察専用だったが後に市販された。登場初期で導入されたためにトラブルが続出し、リコール隠しも発覚したために、これ以来三菱車が国費で大量導入されることはなくなった。また、警察の高速隊には一部VR-4を導入しているが全国で10台程度と非常に少ない。
内装ではシート地やメーターパネル内のGDIエコランプなどが変更された。2.4L DOHC GDIの「24 Viento」追加。「VR-4」のATを280psにパワーアップ。
一部グレードにチタン調センターコンソールパネルを採用。
同時にヴィエントのアルミホイールを16インチに拡大。リアにもディクスブレーキを採用。
|