三菱:ディアマンテ中古車情報!カタログ・在庫
TOP
トヨタ
日産
ホンダ
三菱
マツダ
スバル
いすゞ
スズキ
ダイハツ
ユーノス
日本フォード
ミツオカ
日野
レクサス
メルセデス・ベンツ
AMG
フォルクスワーゲン
BMW
アウディ
オペル
スマート
マイバッハ
ポルシェ
BMWアルピナ
BMWハルトゲ
ドイツフォード
フォードEU
AMC
GMC
キャデラック
クライスラー
サターン
シボレー
ダッジ
ハマー
ビュイック
フォード
ポンティアック
マーキュリー
リンカーン
ホンダアメリカ
USトヨタ
アキュラ
日産USA
MG
TVR
アストンマーチン
ジャガー
ディムラー
ベントレー
ミニ
ランドローバー
ロータス
ローバー
ロールスロイス
シトロエン
プジョー
ルノー
アウトビアンキ
アルファロメオ
フィアット
フェラーリ
マセラティ
ランチア
ランボルギーニ
サーブ
ボルボ
ヒュンダイ
大宇
中古車在庫情報・カタログ情報や最新ニュース、オーナーの口コミなど♪
⇒
ディアマンテ中古車総合情報
三菱:ディアマンテの概要♪
初代(4ドア:1990-1995年、ワゴン:1993-1997年)
1989年の第28回東京モーターショーに参考出品され1990年5月にギャランΣ/エテルナΣハードトップの実質的な後継車として発売。
当時、このクラスの上級セダンはFRの駆動方式を採用するのが定番であったが、ディアマンテはFFの駆動方式を採用。また、発売当初より4WDの設定があり、当時の上級セダンでは珍しかった(後にはFFのみの設定となった)。
比較的割安な価格帯で3ナンバー専用大柄なボディーにBMW風の若々しいスポーティでスタイリッシュなデザイン、マルチビジョンや三菱インテリジェントコックピットシステムなどをはじめ、規格改正で特に排気量2.5Lまでの車の税金が下がった時期に3種類のV6エンジン(3L、2.5L、2L)とFF以外に4WDも選べると言う選択肢の広さもあり、後の3ナンバーミドルクラス乗用車へ与えた影響はかなり大きく、ユーザーからは好評を得て1990年-1991年日本カー・オブ・ザ・イヤーも獲得する。
バブル期に開発が進んでいたこともありトヨタ車ほどには及ばないものの内装の質感は高かった。ハイテク装備と安全装備はかなり力が入れられたが煮詰めはイマイチと批判の声もあった。
初代ディアマンテをベースに開発されたセダン「シグマ」は事実上姉妹車である。
GTO/3代目デボネアはこの型のディアマンテをベースに作られている。
1991年10月 一部改良。「25V-SE 4WD」を追加発売。
1992年10月 マイナーチェンジ。エアコンは代替フロン化/2000ccはSOHC24バルブの6A12型に変更。145馬力にパワーアップ。AT車はファジィ制御化。「25V-S」を追加発売。
1993年3月 マグナワゴンの後継としてディアマンテワゴンが豪州アデレードのオーストラリア三菱で製造、日本に輸入された(形式はK45)。この車種は日本向けにフロントフェイスをディアマンテ顔に変更。リヤサスペンションはカーゴスペースと荷重を考慮し5リンク式を採用していた。エンジンはディアマンテとは違い、マグナワゴンの上級仕様であるベラーダと同じV6・3000ccのSOHCを搭載していた。しかし、340万円以上する価格設定ゆえ、国内での販売台数は芳しくなかった。
1993年11月 マイナーチェンジ。フロントグリルをボディカラーと同色化。廉価グレードのEシリーズをベースに「エスパーダ」を発売。コストダウンを絡んだこともあり装備品や内装を中心とした見直しも行われ、パトカー用を除きMT車の設定が廃止される。
1995年 ワゴンをマイナーチェンジ。マルチパラボラ型ヘッドライトや新デザインのリヤガーニッシュなどを採用し商品力をアップさせるとともに約340万円と高価すぎていた価格設定を見直し、本革シートやAVシステム、サンルーフなどをカットして価格を約90万円引き下げた「30V」を追加した。尚、従来のベースグレードは「30R-SE」とグレード名を変え、運転席SRSエアバッグとABSが追加された。
韓国・現代自動車のソナタ(2代目)とマルシアはこの型のディアマンテのプラットフォームを用いている。
ハードトップのフルモデルチェンジ後もワゴンはそのまま1997年まで継続生産された。
2代目(1995-2005年)
1995年2月にモデルチェンジ。イメージ的には初代のキープコンセプトだがフロントノーズが逆スラントからやや垂直になりテールランプもL型になった。初代同様に駆動方式もFF/4WDを設定。
MIVEC機構を搭載した270psの6G72エンジンを積んだ30M/30M-SE。DOHC24バルブ230ps・6G72型を搭載する30R/30R-SE。2.5LにはDOHC24バルブ200ps・6G73型の25V/25V-SE。省燃費MVV仕様SOHC24バルブ175ps・6G73型レギュラーガソリン仕様の25S/25Eのあわせて2種類4タイプのエンジンがラインナップされていた。初代にあった2.0L・6A12型エンジン仕様は廃止。
ハイテク装備と安全装備はより洗練されGPSカーナビゲーションは音声ガイドが付き、連動レーザーレーダークルーズコントロール、ハイコントラストメーター、マニュアルモード付き5速ATなどが導入され、バブル崩壊後に登場した車種の中では充実度が高かった。
1997年8月マイナーチェンジ。テールランプが分割式となり、3.0LのGDIのみとなる。
この時シグマパトカーの後継としてパトカー仕様が設定される。台数は少なく埼玉・静岡・長崎などでしか配備されておらず製造期間も2年弱と短く、リコール隠しもあったために通常よりも早く姿を消した。耐久性を考慮してこのモデルにはGDIエンジンは搭載されていない。
1997年10月(オーストラリアは4月)にワゴンもモデルチェンジ。当初はベースモデルともいえる「ES」とナルディ製ステアリング&シフトノブ、本革シート、ハイコントラストメーターなどを追加した「LS」の2グレード体制であった。エンジンは初代のワゴンと同じV6・3000のSOHCエンジンでリヤサスも5リンク式であった。但し、オートマチックは4速からシーケンシャルモードつきの5速に変更されている。
後年にLクラスのステーションワゴンの中心がFRか4WD車になったことで、FFのLクラスワゴンは売れにくく、輸入車であることの不安感やエンジンが3Lのみの設定で売り上げは芳しくなく、同時にステーションワゴンの販売需要が下がったこともあり、1999年10月にグレードをESのみに車種整理した後、2001年3月に輸入を終了した。
1999年9月 マイナーチェンジ。GDIを積んで2.5Lが復活。テールランプがS150型マジェスタ風の縦型になる。
2002年10月 自動車排出ガス規制強化の煽りをうけ3000/2500のGDIエンジンから2.5L SOHC・6A13型エンジンのFFのみとなり、ESPADAと25V-SEの2グレードへ。
2003年海外仕様のみマイナーチェンジ。ブーレイ顔が採用された。
2005年6月15日、セダン需要の低迷と三菱リコール隠しを理由に、三菱自動車は中大型セダン市場からの撤退を決定、同年12月に国内での生産と販売を終了した。日本におけるディアマンテの歴史に15年の終止符を打つ。
プラットフォームは現代自動車と傘下の起亜自動車で幅広く利用され、グレンジャー(XG型(ヒュンダイXG))、ソナタ(EF型)、サンタフェ(SM型)、トラジェ、オプティマのベースとなった。
参照 :
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』