ダッジ:チャージャー中古車情報!カタログ・在庫
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中古車在庫情報・カタログ情報や最新ニュース、オーナーの口コミなど♪ ダッジ:チャージャーの概要♪B-Body 時代(1966-1978年) ![]() 1964年、チャージャーのコンセプトカーが登場した。 Bプラットフォーム[当時はインターミディエイトとよばれていた。現在のミッドサイズ]を使用したダッジ・ポラーラがベース車であり、それをロードスタースタイルにしたものであった。 1965年、チャージャーUというコンセプトカーが登場した。 このチャージャーUは1966年から販売されるチャージャーにとても近いボディースタイルであった。 このチャージャーUとは関係ないが、この年のダッジ・ダートのスペシャル・オプション・パッケージとしてチャージャー273[ダッジ・ダート・チャージャー273]というものが用意されていた。 1966年、チャージャーはダッジが当時大人気を博していたビッグスリーのマッスルカーに対抗するために発売された。当時、ダッジのラインナップに存在したコロネットというセダンのシャーシ(Bプラットフォーム)をベースにV型8気筒エンジンを搭載。グレードは幾つか存在したが最上級のモデルには426Hemiという高性能なレース用エンジンのストリートバージョンを搭載した。このモデルは400馬力を超えるパワーを持ち、停止状態から時速60マイル(約96km)まで6秒弱で加速するという当時としては強烈なパワーを誇った。翌1967年には排気量440キュービックインチ(=7210cc)のマグナムV8エンジンを搭載するチャージャーR/Tが登場、独特な外装が与えられたモデルだが、今でもチャージャーを特徴付けるものとして人気が高い。また、チャージャーは1971年から1972年までスーパー・ビーというマッスルカーのベースにもなった。 強力なエンジンを積んだチャージャーはレース関係者の目も留まることとなり、NASCARなどのアメリカンレースでの使用を意識したモデルチェンジがなされるようになる(当時、NASCARは本当の意味でストックカーレースであった)。特に1969年に登場したチャージャー500はレース指向が強く、これをベースにダッジ・ディトナが(兄弟ブランドのプリマスからもプリマス・スーパーバードとして)発売された。これらがダッジに「レースと市販車の距離が近い」というイメージを付けていく。この初代チャージャーはモデルチェンジを繰り返しながら1978年まで生産された。なお、この初代チャージャーはスティーブ・マックイーンが主演した1968年の映画『ブリット』にも登場、マックイーンが運転するマスタングGT390とカーチェイスを演じている。 しかし、オイルショックによる影響もあり1972年ごろからパワーダウンを余儀なくされた。 ボディーのデザインはあまり変更せずマッスルカーの面影はのこっていた。 1975年さらなるオイルショックの影響でチャージャーは大幅にパワーダウンされ、ボディーデザインもそれにあわせて変更された。 1975年からはチャージャーはベーシック系[チャージャーやチャージャー・スポーツ]とラグジュアリー系[チャージャー・SE]の差が大幅に広がった。 ベーシック系のチャージャー[チャージャー・スポーツ]は姉妹車であるダッジ・コロネット[コロネットは1971年から4ドアのみの販売であったが1975年に2ドアが復活している]とデザインはほぼ変わらず、エンブレムなどが違うぐらいであった。 一方、ラグジュアリー系のチャージャー・SEは前年[1974年]が普通のチャージャーに豪華装備を増やしただけであったのに対し、1975年からはベーシック系とおなじBプラットフォーム(B-Body)ではあるがデザインはまったく別の車のようだった。 しかし、姉妹車として同時に販売開始されたクライスラー・コルドバ(Chrysler Cordoba)とはフロントグリル、エンブレムなどが違うぐらいであった。 1976年、チャージャーとチャージャーSEには特に変更なく前年と同じ内容で販売。 この年はオイルショックからの一時的な抜け出しができたため、クライスラー・プリマス・ダッジの大型車販売が伸びた。 この1976年を最後にベーシック系のチャージャー[チャージャー、チャージャー・スポーツ]の販売は終了。 ベーシック系チャージャーの後継車は、新しく開発されたインターミディエイト(ミッドサイズ)のM-Bodyを使用したダッジ・ディプロマット。 生産は1977年から始まった。 ちなみにディプロマットは国々によって名前が変更されたり他ブランドから販売されたケースもあった。 カナダではダッジではなく同じクライスラー・グループのプリマスからカラベルという名前で販売された。 メキシコではダッジ・ダート、コロンビアではダッジ・コロネットとして販売された。 1977年、ベーシック系チャージャーの4ドアセダン版のようなかたちで販売されていたダッジ・コロネットが1976年を最後に生産が終了され、後継車のダッジ・モナコが登場した。コロネットが改名されたとも説明できる。モナコは76年までダッジのフルサイズとして販売されていたがダウンサイジングをうけ、1977年からはインターミディエイト(ミッドサイズ)として販売が開始された。ボディーは前年のコロネットと変わりないがフロントマスク、テールライトが大幅に変更された。前年までのフルサイズのモナコは後継車としてダッジ・ローヤル・モナコが生産が開始された。 前年のベーシック系チャージャーの後継車であるダッジ・ディプロマットは4ドアセダンも用意されており、前年のコロネットのもう1つの後継車でもあった。 この年、チャージャーSEをベースにダッジ・チャージャー・デイトナの名前が復活する。チャージャー・デイトナの名前は1969年以来(チャージャー・デイトナは1970年型も存在するという噂もある)であった。オイルショックは一時抜け出したものの、また来る恐れがあるため初代チャージャー・デイトナのようにロングノーズ、ビッグウィング、ハイパフォーマンスV8などは使われなかった。ボディーには大きなストライプが飾られ、サイドにCharger Daytonaの文字が飾られた。 1978年、クライスラー・コルドバがマイナーチェンジ[フロントのライトが丸目4連から縦角目4連に変更]をした。それとともにチャージャーSEは1978年を最後に生産終了。 チャージャーSEの後継者は、同じB-Bodyを使用したダッジ・マグナムであった。 チャージャーSEとの大きな違いはフロントマスクであった。 マグナムはヘッドライトの透明カバーがリトラクタブルになっており、ヘッドライト点灯とともにカバーが隠れるという面白いしくみもあった。 このリトラクタブルの透明ヘッドライトカバーは1979年から販売されるダッジ・セントレジス(Dodge St. Regis)にも採用された。 2代目(1983-1987年) ![]() 1983年、今までダッジから3ドアのハッチバックとして販売されていたダッジ・オムニ・024が改名され再びチャージャーという車が発売されている。初代がFRだったのに対しこれはFFレイアウトのLプラットフォームを使用していた。このLプラットフォームは当時ダッジのサブコンパクトとして販売されていたダッジ・オムニと共有していたため、この車もサブコンパクトのジャンルに入っていた。だがボディースタイルはオムニとはまったく異なっていた。このチャージャーにはR/Tなどのスポーティモデルの復活はなかったが、キャロル・シェルビーがチューンした"ダッジ・シェルビーチャージャー"というモデルが存在した。その後、キャロル・シェルビーがシェルビーチャージャーをベースにさらにチューンした"ダッジ・シェルビーGLHS"というモデルも販売された。 1987年に生産が終了。後継者はダッジ・シャドウ(シャドウは1989年からダッジ・アリエスシリーズの後継的存在にもなる) 3代目(2005年-) ![]() 1999年にダッジからチャージャーの名を与えられたコンセプトカーが発表され、2005年にチャージャーは4ドアのセダンとして復活した。ボディは大柄で、搭載するエンジンはハイパワーなV8(V型6気筒のモデルもある)というアメリカンマッスルカーの復活を思わせる車である。LXプラットフォームを使用している。 2006年には5.7リットルのV8ヘミエンジンを搭載する「チャージャー・ディトナ」が登場、このデザインを持つマシンがNASCARにも登場する予定だ。またSRT-8という6.1リットル、400馬力超のモデルも登場、さらに2007年にはチャージャー・スーパービーの名前を持つモデルが登場予定である。フォーミュラD(アメリカ版プロドリフト選手権)ではスウェーデン人ドライバーのサミュエル・ヒュビネットにより、2006年後半からチャージャーをベースとしたドリフト車がデビューした。FRで大排気量エンジン搭載でターボなしでも500馬力を誇っている。 |