フォード:サンダーバード中古車情報!カタログ・在庫


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 フォード:サンダーバードの概要♪


初代(1955-1957、クラシック・バーズ、リトル・バーズ)

第1世代は、1954年のデトロイト自動車ショーに登場し、1955年の初年で目標1万台に対し、1万6千台以上を販売した。この車は標準で取り外し可能な、ファイバーグラス製のハードトップを装備していた。ファブリック製のコンバーチブルはオプション設定であった。エンジンは292YブロックのV8で、排気口を2ピースのリア・バンパーの間に取り回していた。1956年モデルはトランクが大型化され、スペア・タイヤが車外に取り付けられた。また、排気口はバンパー・エンドに位置が変更された。また、車内の換気向上のため、前輪の後ろに通気口が設けられた。また、後部の視認性向上のため、ハードトップに「ポートホール」と呼ばれる窓が無償で設定された。また、この年、312YブロックのV8エンジンがオプション設定され、販売も1万5千台を上回った。1957年は、過激なスタイリングに一新された。フロンとバンパーの形状変更、グリル、テイルフィンは延長されて、大型のテール・ライトが装備された。スペア・タイヤは再び車内に収納され、垂直に収納できるように設計が成された。エンジンは292と312が用意されていたが、312には更にチューンが施され、数台のスーパーチャージャー仕様も生産された。この年の販売は2万1千台を越えた。1957年型がフォードとしては最後の2シーターモデルとなり、1982年の小型スポーツカーが販売されるまで、製造されることはなかった。


2代目(1958-1960、スクエア・バーズ)

第1世代のサンダーバードが成功に終わり、市場拡大に向けて、2シーターの販売に限界があること、ファミリー層に受け入れられなかったことなどを挙げて、更なるマーケット・リサーチが実施された。その結果、1958年モデルを含む第2世代は4シーターでデザインされ、新型サンダーバードは他車との共用可能なシャシーを基本に設計された。その意図は、車内スペースを最大限に取り、それに関連して外装部分をコンパクトにすることであった。また、そのスタイリングには、この世代のニックネームが示すとおり、独自のテーマが設定された。また、当時の他のアメリカ車に比べて9インチも低く、そのためにトランスミッションを収めるスペースを設けるため、前後のシートを分離するほどの最大長のセンター・コンソールが設けられた。エンジンはフォードの新型であるFEシリーズの352立方インチ(5.8L)エンジンが採用された。サスペンションは前後ともコイル・スプリング式であったが、リアはオプション設定でエア・スプリングに変更可能であった。このサンダーバードは発売年にモーター・トレンド誌のカー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。ファンにとっても、2シーターのサンダーバードは歓迎されず、この新たな新機軸は成功を収めた結果、第1世代の倍、3万8千台近くを販売した。1959年モデルに、フォードはフロント、リア、サイドに渡る装飾に変化を加えた。また、当初は革製の内装も選択可能としていた。また、リア・サスペンションはコイル・スプリング式を廃して、ホッチキス・ドライブと呼ばれる板バネ式に変更された。少数ではあったが新エンジンの430立方インチ(7.0L)のMELシリーズが使用されたモデルも存在する。販売は更に倍加し、約1万代のコンバーチブルを含め、6万7千台以上が販売された。その宣伝が主に女性にターゲットを絞って行われた結果であった。


3代目(1961-1963、ブリット・バーズ)

1961年モデルは一層流線型のスタイリングをもって登場した。販売は底堅く、1万台を超えるコンバーチブルを含め、7万3千台以上を販売した。新型の390立方インチ(6.4L)V8、FE-シリーズ・エンジンだけが搭載された。この年、サンダーバードはインディアナポリス500のペースカーとなり、ジョン・F・ケネディ大統領就任パレードにも登場した。1962年も販売は好調で7万8千台を越えるセールスを記録、スポーツ・ロードスターも登場した。このモデルはリア・シートを覆うトノ・カバーが附属し、事実上は2シーターで、エルビス・プレスリーも所有していた。ランドー・モデルも販売され、ビニール製の屋根にS型のバーが飾られた。このデザインは有名となり、続く20年に渡って使われた。1963年は、販売を6万3千台まで落とし、ランドー・モデルはハードトップに次ぐ位置づけとなった。また、特別限定車で「プリンシパリティ・オブ・モナコ」と呼ばれるモデルが登場、2千台のみが販売された。革張りの内装にローズ・カラーのルーフなどが特徴である。


4代目(1964-1966、フレアー・バーズ)

1964年、サンダーバードはより丸みを持たせたフォーマルな外観に生まれ変わった。サンダーバードのスポーティなイメージは幻想となった。標準の390立方インチ・エンジンがこの重い鳥を羽ばたかせるのに必要であり、最高速度も200kmに届いた。また、柔らかなサスペンションが相当なボディの傾斜とじゃじゃ馬な動きを支え、更に輸出仕様のサスペンションも設定された。スポーツ・ロードスターもまだ設定されており、この年のセールスは9万2千台を超えた。1965年フロント・ディスク・ブレーキが標準採用され、ターン・シグナルが追加された。後期の特徴は、個性的な幅広で水平にレイアウトされ、内側がら外側に向けて順次変わるインジケーターのテール・ライトである。1966年モデルは、より大きな428立方インチV8エンジンを搭載したオプションモデルが登場した。新しいハードトップ・モデルが設定され、よりフォーマルな外観のルーフが装備された。ランドー・モデルは、タウン・ランドーに改められ、この年、他のモデルの中では最高のセールスを記録した。また、1963-65の間、特別オーダーで427エンジンを搭載することが可能であった。


5代目(1967-1971、グラマー・バーズ)

サンダーバードの基本コンセプトは1966年のそれを踏襲したが、後に2度の変更が加えられる。また、1964年のフォード・マスタングの登場によって、市場価値に変化を見せた。それは、サンダーバードは小型2ドア、4シーターのスポーティな車のイメージであるが、実質上は安っぽいというものである。このため、販売にも苦慮し、フォード社はサンダーバードを高級車市場に格上げしようと反応した。1967年モデルは、より大型になり、リンカーンに似た豪華なパーソナル・カーに位置づけた。サンダーバードの共用ボディの思想は、この大型化によって専用フレームの開発に繋がった。コンバーチブルの販売は次第に減少し、代わって観音開きの4ドアモデルが登場し、1971年まで販売されたが、芳しいセールスは得られなかった。 1967年、スタイリングが発売時に比べ過激に変更された。この後の5年は、過激なスタイリングがフォードの主流となり、サンダーバードも大口を開けた魚のようなフロント・グリルと一体となって、普段は隠れているヘッドライトは、近未来的なデザインで、ビア樽のようなボディ・サイドは、この頃、人気があった飛行機の胴体を思わせるものであった。1968年、サンダーバードの4ドアボディをリンカーン・コンチネンタル・マークIIIと共用することになり、この時から’90年代までこの関係は継続した。1970年、1967-69年モデルと、プラットホームと多くの部品を共用しながら、サンダーバードは大規模にデザイン変更を受けた。その最大の特徴は前部の鷲のクチバシ状のデザインである。クーペとスポーツ・バックが販売され、1970-71年はボンネットから突き出たクチバシにかけて、目だって角ばったラインを構成していた。この2年間で、サンダーバードは、動物的な外観が特徴的であった。このことから、この2年間のモデルは特に「バンキー・ビーク・バード」と呼ばれている。


6代目(1972-1976、ビッグ・バーズ)

最大のサンダーバードが登場した。巨大で重い429立方インチ(7.0L)と460立方インチ(7.5L)のV8エンジンを搭載し、その重量は2,250kgもあった。しかしその巨大さと燃費の悪さは最悪で、1973年、折りしも、オイルショックのあおりを受け、自動車は小型化と高い経済性が求められるようになった。


7代目(1977-1979、トリノ・バーズ)

1977-79にかけてのモデルは、その通称通りに小型のフォード・トリノのシャシーを流用して登場した。これにより先代よりも車重は約400kg軽減、全長は254mm短縮された。角張ってよりシャープなスタイリングとなったデザインはこの世代のサンダーバードの特徴であり、エンジンも重い大型V8が小型V8に置き換えられたが、車重が軽くなったため問題はなかった。また価格が下げられたこともあって良好な販売を見せた。




8代目(1980-1982、ボックス・バーズ)

オイルショック後のアメリカにおいて、1980年に登場したサンダーバードは先代よりさらに小型化され、見栄えのよいセダンのようなデザインであった。これは他車とのプラットホームの共用をさらに進めた結果である。フォードの新世代コンパクトであるフォード・フェアモントなどと同じくFOXプラットフォームを採用、先代と比較し363kgの重量軽減と全長432mmの短縮が図られたものの、消費者にはあまり歓迎されなかった。そのため初年度こそ15万台を売ったものの、翌年以降は販売台数が大幅に落ち込んだ。エンジンは4気筒エンジンを主体として、オプションで3.8LV6、4.2LV8、5.0LV8エンジンを用意していた。このサンダーバードは、独自的なデザインで、垂直のラインと角ばったラインで構成した正にボックスのデザインであった。また、マーカーランプと一体化されたデザインのコンシールド・ヘッドライトを採用している。パワー不足であったが、車の流れに乗せて走るには十分であった。


9代目(1983-1988、エアロ・バーズ)

1983年モデルは大きく進化し、エアロダイナミックのボディとターボ・クーペの発売もあって、サンダーバードはスポーティな車にイメージ・チェンジを果たした。FOXプラットホームをベースに開発され、ヘリテジとターボ・クーペが用意された。ターボ・クーペが上位モデルで、140立方インチ(2.3L)のターボチャージャー付き4気筒エンジンが搭載された。1985年、30周年記念モデルが発売、同時にエラン・モデルと呼ばれる最上級モデルも登場した。1986年、フォード社はMN-12プロジェクト(Mid-Size North American Project 12)に全力を傾けており、BMW6シリーズに打ち勝つには、エアロ・バーズとして成功したサンダーバードを更に大規模に変えていく必要性を感じていた。エランはV8エンジン搭載のLXモデルとスポーツ・モデルに置き換えられた。また、ターボ・クーペは1987年のカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。1988年は、マイナー・チェンジが行われたのみであったが、1989年、ターボ・クーペは3.8Lスーパーチャージャー付きV6エンジンを搭載したスーパー・クーペに置き換えられた。


10代目(1989-1997、スーパー・バーズ)

1989年、新しいサンダーバードの登場が待望されていた。MN-12に基づいて、4輪独立懸架と僅かに小型化され、よりエアロダイナミクスが高められた。モデルはV8モデルとV6(3.8L,OHV)のLXモデルのみの設定となったが、この年、再びカー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。しかし、この車は先代に比べて高価になるなど、コスト管理と生産効率が悪いなど失策であると評された。1994年、サンダーバードは、内外装に変更が加えられたが、最大の変化は新たなSOHCのV8(4.6L)エンジンの搭載であり、同時にEEC-Vと呼ばれる電子コントロール・システムが一新された。スーパー・クーペは、スーパーチャージャーの大型化や圧縮比の増加などの改良が施され、まだ存続していたが、1995年に製造が中止された。1996年、サンダーバードは最後の外観の変更を受ける。ヘッドライトとテール・ライトが新たにデザインされ、よりスムーズな外観となり、ホイールも一新された。また、4.6Lエンジンを収めるために僅かにボンネット・バルジが設けられた。また、1997年には、サンルーフ、パワー・シート、キーレス・エントリーとCDプレーヤーがオプションとして追加された。更にこの年、DOHCのV8(4.6L)エンジンを搭載し、ブレーキ、ホイールともにハイパフォーマンスなモデルが試験的に開発されたが、実現には至らなかった。


11代目(2002-2005、レトロ・バーズ)

2002年、新しい2シーターのレトロ・バーズが4度目のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞して華々しく登場した。新型サンダーバードはリンカーン・LSと同じく、DEWプラットホームを基に設計された。それは近年のトレンドであったノスタルジックなスタイルの再現であり、2シーターの初代サンダーバードをモダンにモディファイした再来であった。取り外し可能なハードトップとコンバーチブルが設定された。この車が最初に登場した時、需要が供給を超え、そのために、ディーラーが値段を高くする事態まで起きた。レトロ・バーズのスタイリングは、代わることなく続いた。行われた変更は、ボディ・カラーの追加と、それに合わせた内装色の追加だけであった。しかし、販売は年々減少を続け、2005年には生産が打ち切られた。フォード社としては、新たなサンダーバードを数年の内には発表する計画であるが、その時期は明確ではない。

参照 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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